滋賀県内の石造物④:徳源院宝篋印塔群(佐々木京極氏墓所)
名称:徳源院宝篋印塔群
伝承など:佐々木京極氏歴代墓所
所在地:滋賀県米原市清滝 徳源院清瀧寺
江戸時代の三重塔や「道誉桜」と通称される枝垂れ桜などで有名な徳源院は、JR東海道本線の柏原駅から徒歩二十分ほどの場所にあり、ここにはかついて京極氏の始祖・氏信の柏原館があったと言う。
この徳源院の本堂の裏手には、佐々木京極氏歴代の墓所があり、宝篋印塔登場最初期の作から幕末の宝篋印塔までが揃っていて宝篋印塔の時代的変遷を見ることが出来、さながら「宝篋印塔博物館」と呼ぶべき壮観である。
大名の歴代墓所と言うのは全国に多くあるが、鎌倉時代から江戸時代末期までの当主の墓が同時代の石塔で構成される墓所と言うのは、他に類を見ない。
墓所は上下二段で構成され、上段が初代氏信から高吉まで、下段が近世大名京極家の初代である高次以下江戸時代の歴代当主と、分家の多度津藩主の墓所からなる。
以下、墓所内の主な石塔をいくつか紹介したい。
初代佐々木氏信の墓は永仁三年銘があり、形式的にも近江地方の鎌倉後期宝篋印塔の特徴をよく示している。
なお、当主の墓ではないようであるが、下の写真の宝篋印塔は、墓所中最古の宝篋印塔と考えられ、氏信塔に先行して建てられたものかも知れない。
四代当主で婆娑羅大名としても名高い佐々木高氏(京極導誉)の墓は、南北朝時代後期の応安六年銘がある。
なお、導誉の墓と称される石塔は、同じ滋賀県の犬上郡甲良町の勝楽寺にもあり、こちらは導誉が晩年を過ごした寺とされ、導誉の肖像画も伝わっている。
同じく宝篋印塔で、塔身が欠損して残った笠と基礎も風化が激しいが、本来は徳源院のものよりも大型の宝篋印塔で、導誉の供養塔であると考えられる。
下段の宝篋印塔群の中では、レリーフを施した石廟に納められている北陸形式の京極高次の墓が特に目を引き、石造美術としても価値が高いが、これは高次が関が原合戦の功で若狭小浜に封ぜられ、その地で没した影響であろう。
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