北関東の石造物⑱:紫五輪塔(伝・紫式部の墓)
名称:紫五輪塔
伝承など:紫式部の墓(小山氏の墓?)
所在地:栃木県下野市紫 天平の丘公園内
元来の下野国分寺と国分尼寺の跡地は現在天平の丘公園として整備されており、その敷地内に二基の古様の五輪塔と五輪塔の残欠がある。
地元では紫式部の墓と言う伝承があるが、これは地名の「紫」から連想された後付である。
五輪塔は元々は姿側沿いにあったが、明治時代になって現在の場所に移されたと言う。
現状では二基ともに空風輪が欠損しているが重量感のある五輪塔で、鎌倉時代初期の造立と推定される。
傍らに同時期の五輪塔の残欠があることから、元来は五輪塔は三基あったのであろう。
この五輪塔の来歴は不明であるが、前回紹介した下野国分寺の三基の五輪塔と形式が類似しており、ごく近い場所にあることからおそらく造立時期も造立者も同一と思われる。
あるいは、元来は六基とも同じ場所にまつられていたのかも知れず、国分寺の五輪塔を小山氏の墓所と見る説が正しければ、この五輪塔も小山氏の初期の当主の供養塔なのかも知れない。
いづれにせよ、関東地方における五輪塔の最初期の事例として貴重である。