雑記:若狭小浜
福井県小浜市は、江戸時代は徳川譜代の名門・酒井家の城下町である。
関ヶ原の戦いの後で小浜は京極高次が封ぜられたが、後に酒井忠勝が入り、小浜城はその居城として幕末に至っている。
小浜城には現在建造物はなく、石垣と堀が残るのみである。
初代藩主酒井忠勝は老中・大老などを歴任し、三代将軍徳川家光が「我が右の腕」と称したほどの名臣であるが、市役所前には忠勝の隠居後の肖像画を模した像が建っている。
隠居した忠勝は「空印」と号し、それにちなむ寺名を持つ酒井家の菩提寺・空印寺には歴代藩主の墓所があり(ただし明治時代にまとめて再建されたものである)、また同寺は不老不死の八百比丘尼伝説の舞台でもある。
酒井家統治時代、小浜藩は蘭学医の杉田玄白を輩出し、市内にはその名を関した「杉田玄白記念公立小浜病院」があり、入口前には玄白の銅像が建つ。
また幕末には安政の大獄で刑死した梅田雲浜が出、病院向かいの小浜中央児童公園には雲浜の銅像が建ち、また雲浜の生家跡も史跡公園として整備されている(下の写真二枚目)。
若狭小浜は畿内の日本海側の入口として古代から仏教文化の栄えた地で、「海のある奈良」と通称されるほど古刹が多く、仏像や建造物などの文化財を多く有している。
中でも明通寺は、鎌倉時代に建てられた国宝の本堂と三重塔があり、また降三世明王像(下の写真五枚目、明通寺の絵葉書より)など平安時代の仏像が多数所蔵している。
三重塔の前にある宝篋印塔は中世の作で、室町時代頃のものであろうか。
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