北関東の石造物㊽:円福寺五輪塔、層塔(新田氏累代の墓所)
名称:円福寺五輪塔、層塔
伝承など:新田氏累代の墓所
所在地:群馬県太田市別所町 円福寺
群馬県太田市を中心とした地域は、中世には新田荘が所在した地であり、新田氏に関連する史跡や石造物も多い(「北関東の石造物㉜」「北関東の石造物㉝」参照)。
別所町の円福寺もそうした新田氏ゆかりの寺院であり、同寺は新田氏四代当主・政義によって創建された寺院で、その東方四百メートルほどの所には政義が築いた台源氏館跡もある(この館は新田義貞の生誕地と伝承される)。
新田政義は鎌倉時代中期の武士で、京都大番役の途中に幕府に無断で出家してしまったために所領を没収され、以降は世良田氏が新田の惣領家となった。
政義の孫の基氏(新田義貞の祖父)の代には一部の所領は回復されるも、新田氏の勢力は弱体化し、鎌倉時代後期には足利氏の経済的庇護下に入って足利一族の庶流と化していた。
円福寺には、新田氏累代の墓所と伝承される石塔群があり、二十基近い五輪塔と四基の層塔で構成され、五輪塔は一部戦国期のものも含むものの、大型の石塔はいづれも鎌倉時代の作である。
石塔群は現在覆屋に納められているため全景の写真が撮りにくいが、五輪塔は新田一族の墓で、層塔は開山塔、あるいは円福寺の僧侶の墓に比定されている。
五輪塔の内、覆屋の入口から最も奥にある塔(三枚目中央)には、鎌倉時代末期の元亨四年銘と、供養の対象である「沙弥道義」と言う人物の名が刻まれている。
この道義は新田基氏の法名であり、五輪塔は基氏の墓とされるが、この五輪塔は群馬県内の五輪塔では被供養者が明確に判明する初見例である。
この基氏の墓よりもやや古い時期の造立と考えられる五輪塔が墓所内には二基あり(二枚目手前)、基氏によって造立された父祖の供養塔であると考えられている。
北関東では1200年代末から1300年代初頭にかけて、有力御家人によって五輪塔を始めとする石塔が次々と造立されるが、足利市の光得寺にある足利氏墓所の五輪塔(元来は菩提寺である樺崎寺に所在、「北関東の石造物㊵」参照)も、最も古いと考えられるものは足利貞氏(尊氏の父)によって造立されたと思われる1200年代末の塔であるから、足利氏が創始した一族墓所と氏祖供養塔が、ほどなく同じ足利一族の新田氏にも伝播して円福寺の石塔群が造立されたと考えられる(「南関東の石造物㉒」で紹介した埼玉県深谷市にある畠山氏の墓所もこの流れの中で造立されたものであろう)。
いづれにせよ、円福寺の石塔群は鎌倉時代北関東の石造物を考える上で、極めて重要な石塔である。
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