雑記:上越市周辺の上杉謙信ゆかりの史跡と銅像

※本記事は、2023年2月13日に公開した内容を分割再構成したものです。

新潟県上越市は戦国大名・上杉謙信の本拠地と言うべき場所で、同市内、あるいは新潟県内には謙信の銅像が数多く存在しており、地元での謙信の人気ぶりがうかがえる。

まず上越市の観光の玄関口とも言うべき北陸新幹線上越妙高駅(ただし、同駅から上越市街地まではかなりの距離がある)前には、謙信の騎馬像が建っている(北陸新幹線上越妙高駅の開業に合わせて建てられたもので、県内の銅像では最も新しい)。

謙信は越後守護代であった府内長尾氏の出身で、関東管領山内上杉氏の名跡を継承するまでは長尾景虎と名乗っていたが、長尾氏の居城であり、謙信自身生涯の居城とした春日山城は、現在史跡として整備されており(下の写真四枚目は銅像の前から本丸付近を撮影したもので、この時は城には登らなかった)、城の登り口である駐車場の一角にも謙信の銅像がある。

こちらは上越妙高駅の謙信像よりもだいぶ「先輩」で、謙信を主人公とした1969年のNHK大河ドラマ「天と地と」(現在は海音寺潮五郎)が放送された時期に建てられたもので、同ドラマで主演を務めた石坂浩二をモデルにしたと言う。

謙信像は石垣の上に建ち、以前はこの上に登って間近で謙信像を見ることが出来たが、私が訪れた数年前はちょうど大雨の際の土砂崩れの影響で一時的に登れなくなっていた(2023年9月現在、登り口は閉鎖されたままである)。

下の写真三枚目は、かつて登り口が閉鎖されていなかった頃に、フィルムカメラで撮影した写真を電子化したものである。

駐車場の奥には春日山神社があり、これは明治期に山形県米沢市の上杉神社(謙信を祭神とする)から分霊されたもので、小川晴明(童話作家小川未明の父)によって創建された(下の写真一枚目は参道にある毘の旗)。

境内には春日山神社記念館があり、謙信ゆかりとされる文物や謙信の肖像画などが展示されているが、普段あまり入場者がいないせいか、館内の展示は非常に雑然としていてやや見にくい。

また、社殿の前にも謙信の像があるが、これは駐車場にある謙信銅像と同一の作家によって造られた銅像の雛形的な像で、かつては山麓の春日山旅館に置かれていたが、2022年に旅館が閉館したために神社に寄贈された。

春日山城から林泉寺(同寺については別記事で紹介済み)に下り、からさらに東に下った所には、春日山城史跡広場ががあり、発掘調査の成果に基づいて土塁や堀の一部が復元されている。

また傍らには出土物などを展示する「春日山城跡ものがたり館」がある。

春日山駅を挟んで城跡と反対側にあるリージョンプラザ上越の入口にも、謙信の騎馬像があったが、現在それは移動して「ものがたり館」の南方の上越市埋蔵文化財センター前にある(下の写真一枚目はリージョンプラザ上越にあった際に撮影したもので、二枚目が現在の銅像であるが、馬の首の向きや謙信の足の角度などが微妙に異なっており、移設時に修復したのであろうか)。

なお、埋蔵文化財センターでは謙信にちなむ展示(無料)を定期的に行っており、内部には謙信の甲冑のレプリカもある(下の写真三枚目、四枚目、五枚目で、四枚目の甲冑は米沢市の上杉神社稽照殿所蔵のもの、五枚目は米沢市宮坂考古館所蔵のものがモデル)。

謙信の銅像は、他に新潟県長岡市栃尾にもある。

同地は謙信が元服後に兄・晴景の命によって赴いた栃尾城があり、謙信は十四歳から十九歳までこの地で過ごし、初陣を飾った場所でもある。

栃尾城下の秋葉公園には法体の謙信像(下の写真一枚目)、秋葉公園に隣接する栃尾美術館前には謙信像の騎馬像(下の写真二枚目)がある。

現在は栃尾と同じく長岡市と合併した旧与板町は、謙信の重臣であった直江氏の居城があった場所であり、与板町の資料館前には直江兼続の像がある。

兼続は謙信の姉・仙洞院と謙信の従兄・長尾政景(府内長尾氏と同族の上田長尾氏当主)の子で、後に謙信の後継者となった上杉景勝の近臣で、上田長尾氏の家臣であった樋口氏の出身であったが、与板の直江氏を継承して景勝の重臣として手腕を振るった人物である。

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