雑記:八剣神社の足利尊氏供養塔

徳川家康生誕の地として知られる三河の岡崎は、足利氏ゆかりの地でもある。

鎌倉時代に足利氏が三河守護に任じられたことから、岡崎市内には足利氏ゆかり場所も多く、細川氏や一色氏、今川氏などの足利氏有力支族も三河が発祥である。

そうした足利氏ゆかりの岡崎市大門の八剣神社境内には、足利内蔵之尉なる人物が造立した足利尊氏の供養塔の宝塔現存する。

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宝塔は笠と塔身のみが当初のもので、他の部分は他の石塔のパーツを転用している。

笠と塔身は南北朝時代のもので、基礎に代用されている石塔はそれよりも時代が遡るものと思われ、また相輪の代わりに宝篋印塔の笠を重ねている。

この塔の塔身には、尊氏を供養するために造立した趣旨の銘文が刻まれている。

塔身の銘文には「源尊氏公、足利治部大輔、征夷大将軍、等持院殿妙義、于時延文三天、四月晦日(後略)」とあり、尊氏の没年を刻むが、これは単に供養の際に尊氏の没年月日を刻んだもので、直ちに石塔が延文三年に造立されたことを示すものではないが、尊氏没後からさほど時間が経たないうちに造立されたものであろうか。

銘文に文面は若干の不自然さはあるが、石塔の形式は尊氏の没年頃と合致している。

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