雑記:越生山吹の里
埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷、有名な越生梅林の南方の山中にある龍穏寺は、寺伝では奈良時代の創建と言うが、明確なことがわかるのは室町時代中期に曹洞宗に改宗して以降のことで、室町幕府六代将軍足利義教の開基と言い、扇谷上杉持朝が再建立し、その後で太田道真・道灌父子が中興した寺院である。
江戸時代も高い格式を誇り、境内入り口には江戸期に建立された山門が建つ。
龍穏寺は越生で没した太田道真の菩提寺で、本堂前には狩装束の太田道灌の銅像があり、また道真の墓と太田道灌の分骨墓と言われる石塔もある。
太田道真・道灌の墓はどちらも五輪塔で、向かって左が道真、右が道灌の墓と言うが、造立時期も形式もほとんど同じ石塔である。
年代判定が難しい石塔であるが、おそらく造立時期は戦国時代末期を遡ることはなく、あるいは江戸時代初期まで下るかも知れない。
完形の五輪塔ではあるが、道灌の没年である文明年間はもちろん、道真の没年の明応年間よりもはるかに降った時期のもので、後年造立された供養塔と見るべきであろう。
なお、越生は太田道灌の山吹のエピソードの舞台とされ、当時川越城主であった道灌が、川越から狩りに来た帰りに越生で雨に降られて農家に立ち寄ったと言うことになっている(舞台は江戸と言う異説もある)。
この逸話の舞台の場所と言われている場所が、今は山吹の里歴史公園となっており、公園内には山吹の花が多数植えられ、また水車小屋が建っているが、これはエピソードに出てくる百姓屋を意識したものであろうか。