雑記:湯島聖堂

東京都文京区の湯島にある湯島聖堂は、江戸時代前期の元禄初年に、五代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟を起源とする。

元々孔子廟は、林羅山が孔子像を祀る聖堂を私邸内に造立したことに始まり、それを綱吉が湯島に移して「大成殿」と命名し、林家の学問所も上野から同地に移った。

江戸時代後期の寛政年間になると、所謂「寛政異学の禁」によって聖堂の役割が見直され、林家から幕府直轄の学問所となり、昌平坂学問所(昌平黌)が設立された。

昌平坂は湯島聖堂の東方の坂の名であり、「昌平」は孔子の出身村の名にちなむ。

現在、JR御茶ノ水駅の聖橋口を出てすぐの聖橋(文京区と千代田区の境目に位置し、湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ橋のためにその名がついた)を、北方の湯島天神方面に渡った先の左手が昌平坂であり、坂を下った所に仰高門があり(下の写真)、門を入るとすぐに斯文会館(湯島聖堂を管理する公益財団法人・斯文会の本部)がある。

ただし聖橋口前の都道403号線は、昌平坂を通る405号線の高架であるため、徒歩では直接下れず、御茶ノ水駅から徒歩で湯島聖堂に入る場合は、聖橋を渡った先にある大成殿側の入口から入るルートが一般的である。

入口の石段を下ると、入徳門(下の写真)の前に出る。

湯島聖堂は明治以降も江戸期の建物が残されていたが、関東大震災でほとんどが焼失しており、この入徳門のみが聖堂内唯一の木造建築で、宝永元年建造の門である。

入徳門を入った先にある石段を登ると、大成殿の表門である杏壇門(下の写真一枚目、二枚目、杏壇は山東省曲阜にある孔子の教授堂の遺跡のこと)があり、それをくぐると大成殿がある(下の写真三枚目、四枚目、五枚目)。

現在の杏壇門・大成殿は、昭和初年に鉄筋コンクリートで再建されたものであるが、規模は寛政年間当初に倣って再建された。

平素は大成殿の門扉は閉まっているが、内部には孔子像と孔子の高弟らの四人の賢人の像が祀られ、毎週土日と正月には内部が公開されている。

孔子像は、明滅亡時に日本に亡命し、水戸徳川家に仕えた朱舜水がもたらしたものと伝えられる。


入徳門から斯文会館方面に向かう途中には孔子の銅像があるが(下の写真)、これは1975年に台湾から寄贈されたもので、孔子の銅像としては世界最大のものと言う

なお、湯島聖堂は東京都内にあって外見は中国の建物雰囲気を伝えているためか、日本で中国の歴史時代を舞台にしたドラマを撮影する際のロケに使用されることもある。

1973年~1974年に日本テレビで放送された「水滸伝」では、近衛府や宮中のシーンで湯島聖堂が使われているが(「続・時代劇レヴュー㊺」参照)、ただ差し替えが難しかったのか、宮中の宮殿に見立てていたにもかかわらず、大成殿の扁額がそのまま映されていた(笑)。

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