京都府内の石造物㉗:本満寺石廟(蓮乗院の墓)・宝塔/清浄華院五輪塔(法然上人御骨塔)



名称:本満寺石廟・宝塔
伝承など:蓮乗院(結城秀康夫人)の墓(石廟)
所在地:京都府京都市上京区 本満寺
同志社大学の東側の寺町通にある本満寺は、室町時代に本圀寺より分離独立した寺院で、戦国時代には天文法華一揆に参加して本願寺と戦っている。
本堂の脇には石廟が一基あり、これは結城秀康夫人の蓮乗院の墓である。
蓮乗院は江戸氏の出身で結城晴朝の養女となり、後に結城家を継承した秀康の正室となったが、秀康の死後は公家の烏丸光広に再嫁している。
石廟は内部に宝篋印塔を納める北陸地方によく見られる形式のもので、石材も越前の笏谷石であるが、これは蓮乗院が越前松平家とゆかりのある人物であったためと思われ、京都では珍しい石造物である。
かつて石廟は墓地内にあり、破損が激しく扉が欠損し、内部の宝篋印塔が露わになっていたが、近年修復されて現在の場所に移された。
なお、墓地内の世代墓地には、南北朝時代から室町時代にかけての宝塔があり(二枚目、三枚目)、他にも山中鹿之助の墓や、石造美術研究の権威であった川勝政太郎の墓(五輪塔)もある。
本満寺から寺町通りをしばらく南に下った京都御所の東方にある清浄華院は、平安時代前期に天台宗の円仁によって開かれたと伝わる古刹で、後に法然によって浄土宗となり、京都における浄土宗の四本山(知恩院・金戒光明寺・知恩寺・清浄華院)のうちの一つである(なお、清浄華院の南隣は、紫式部の邸宅跡と言う伝承のある廬山寺である)。
本堂(法然の肖像をまつるために同寺では「御影堂」と呼ばれている)の前には「法然上人御骨塔」と称される五輪塔があり、2018年にこの石塔の内部から人骨と木札・仏像が発見された。
木札には元禄年間に法然の遺骨をまつったと言う内容が書かれていたが、石塔自体は江戸時代よりも古いもので、それ以前から同寺にあったものであろう。
空風輪や基壇には鎌倉期の遺風があるものの、火輪の形式からするに南北朝時代頃、あるいはそれよりもやや下る室町時代前期頃の作ではないかと思われる(境内には特に五輪塔の造立年代についての説明はないので、あくまで素人判断であるが)。

#京都 #上京区 #本満寺 #結城秀康 #蓮乗院 #石廟 #宝篋印塔 #宝塔 #清浄華院 #五輪塔 #法然 #南北朝時代 #石塔 #歴史 #日本史