九州地方の石造物⑧:旧龍泉寺国東塔、附・国東半島の石造物
名称:旧龍泉寺国東塔
伝承など:なし
所在地:大分県豊後高田市田染 古代公園(真木大堂内)
大分県の国東半島の名勝として知られる真木大堂(国東半島にあった寺院群・六郷満山の本山本寺の一つ伝乗寺の堂宇であるとされる)は、平安時代の仏像九体をまつる古刹であり、中でも大威徳明王像や不動明王像は、平安時代後期の傑作として著名で、重要文化財に指定されている。
この真木大堂敷地内の「古代公園」には、中世の石造物が多く保存されており、その中には元々龍泉寺に伝来した宝塔がある。
この宝塔は南北朝時代の作であり、この形式の宝塔は特に「国東塔」と通称されている。
「国東塔」は大分県の国東地方に多く見られる石塔で、塔身と基礎の間に台座を持つ独特の形式である。
「国東塔」は鎌倉時代中期が初見例で、以降江戸時代に至るまで造立され続けるが、南北朝時代から室町時代にかけての作例が多い。
同地には他にも、欠損が激しいが南北朝時代の宝篋印塔(二枚目)もある。
同じ豊後高田市の田染にある富貴寺は、宇佐神宮大宮司の氏寺として平安時代に創建された寺院で、阿弥陀如来を安置する大堂は、平安時代末期に造られた建造物で、九州最古の木造建築として国宝に指定されている。
富貴寺の境内にも中世の石造物が多く所在し、中でも鎌倉時代の笠塔婆が著名である。
このうち大堂の傍らに建つ四基のうち、向かって左端の笠塔婆(下の写真二枚目左側)は、鎌倉時代中期の仁治四年銘があり、阿仏房広増と言う人物によって造立された。
その右隣の不動種子笠塔婆(下の写真二枚目右側)、さらに右の釈迦三尊種子笠塔婆と阿弥陀三尊種子笠塔婆(下の写真三枚目)は、いづれも文永五年銘でやはり広増による造立である。
右側の二基は笠は欠損しているが、銘文を持つ鎌倉時代中期の笠塔婆がこれだけまとまって残っているのは極めて貴重である、
なお、この四基とは別に、仁治二年の笠塔婆もあるが、そちらは手元に写真がなく掲載出来なかった(富貴寺を訪れたのは二十年近く前で、写真の一部が紛失してしまったらしい)。
また、境内には他にも南北朝時代の延文六年銘を持つ板碑もある。
同じく豊後高田市の田染平田にある熊野磨崖仏は、平安時代後期の作で、不動明王と大日如来からなり、国の重要文化財に指定されている。
向かって左側の不動明王(下の写真二枚目)が八メートル、大日如来(下の写真三枚目)が七メートルあり、国内の磨崖仏では最大級のものである。
真木大堂、富貴寺、熊野磨崖仏の三箇所をめぐる路線バスが、JR宇佐駅から出ており、一箇所当たり一時間ほど停車して拝観時間も確保されているため便利である(ただし、私が訪れた当時の状況なので、現在も同様のバスの便があるかは不明)。
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