京都府内の石造物㉝:引接寺層塔(伝・紫式部供養塔)
名称:引接寺層塔
伝承など:紫式部供養塔
所在地:京都府京都市上京区閻魔前町 引接寺
「千本ゑんま堂」の通称で知られる引接寺は、平安京の葬送地の一つである蓮台野(他には鳥辺野と化野)の入口に位置しており、「あの世」と「この世」の境にあることから閻魔信仰の寺になったと思われる。
本堂には巨大な閻魔大王像が安置されているが、これは応仁の乱で消失した後に長享年間に再建されたものであり、また同寺は毎春境内では念仏狂言が行われることでも著名である。
本堂の北側に建つ層塔は重要文化財に指定され、六メートルを超える大きな石塔で、境内に入ってすぐ目に入る。
この塔は、古くから紫式部の供養塔と言う伝承があるが、銘文内に特にそうした趣旨が記されているわけではなく、あくまでも伝承である。
元来この層塔は、現在は大徳寺の塔頭になっている雲林院にあり、戦国時代末期に引接寺に移されたと言う。
雲林院のあたりは紫式部が生まれた地とされており、雲林院の南(島津製作所の工場の北隣)には紫式部の墓とされる墳墓がある(下の写真一枚目、二枚目)。
紫式部の墳墓の隣には、小野篁の墳墓があり(下の写真四枚目)、室町時代頃から両者の墓は隣り合って存在していたことが確認されている(なお、現在墳墓の上には古式を模した五輪塔が建てられているが、これは近年墓所を整備した際に造られたものである)。
中世において紫式部は、『源氏物語』と言う絵空事を書いて人々を惑わした罪で、成仏出来ずに地獄で苦しみに遭っていると考えられており、小野篁の墳墓が紫式部の墳墓の隣にあるとされたのも、あの世とこの世を行き来し、冥府の閻魔大王に仕えると言う伝説を持つ篁に、式部を救済すると言う性格が付与されたためであろう。
引接寺の層塔が当初あった雲林院には篁堂があり(こちらも戦国時代末期に移動している)、引接寺は閻魔大王を祀る寺院であるため、そうしたことから後世層塔と紫式部が結びついて理解されたのだと思われる。
現在層塔は十層に見えるが初層は裳階であり、実際には九重の層塔と見るのが正しい。
初層には南北朝時代の至徳三年銘があり、その下の基礎部は円形で地蔵を刻み、また二層目の軸部の四隅には柱をめぐらせているなど、全体的に珍しい特徴を持つ塔である。
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