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さらば青春の光は事務所移籍ではなく何故「個人事務所設立」という茨の道を選んだのか?

2024年10月3日放送のテレビ朝日系列の番組『アメトーーク』持ち込み企画プレゼン大会の中で、さらば青春の光・森田哲矢が、「個人事務所芸人」企画をプレゼンし、自身らが松竹芸能を退所した時の状況について語っていた。

「なぜ事務所を辞めたのか。そして、辞める時どれぐらい揉めたのか。やっぱり、赤裸々にしといた方がいいんじゃないか、と。辞めるってことは、揉めるってことなんですよ

「じゃあ、もう僕から言います。どのぐらい揉めたのか。僕らが松竹芸能から辞める時に、公式の文章。ネットにホームページに上がった文章。こちらです。『度重なる話し合いの結果、これ以上、彼らの芸能活動を支えることが不可能と判断し、専属契約解除に至りました。4月1日以降、さらば青春の光と弊社の関わりは一切ありません』…事務所、ブチギレです

「これを出されても、僕らは当時円満ムーブをかましてました。円満だ、円満だって言って、SNSでは僕もこうつぶやきました。『不祥事でも、クビでもトラブルでもありませんので、ご安心ください』と。まぁ、そんな訳ないんですよ」

松竹芸能の上記の表明により、2013年3月末日にさらば青春の光は契約解除となっている。なぜそのような状態に至ってしまったのか、森田は松竹芸能と揉めた原因について、2022年4月20日放送のニッポン放送系のラジオ番組『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』にゲスト出演した際、次のように語っている(*1)。

松竹芸能を退所した理由

「アイツ(東ブクロ)ってすぐ調子に乗るんで。キングオブコント決勝行って。で、僕らはそこからカネを稼げると思ってた。準優勝で『こっからはカネが入ってくる、バカバカ』っていう感じやったんですけど、思ったほど入ってこず」

「で、たしかね、キングオブコント出た3ヶ月後かなんかの給料が8千円やったんです。あまりに低い額だったんで、ブクロがブチギレて。『この明細書、養成所の前に張ったろか!』みたいな(笑)それでツイートをして、みたいな。波紋を呼んだみたいな感じでした」

「ちゃんとは張り出してないですけど、『張ったろかな』みたいな感じで言ってた、みたいな。ツイッターかなんかで」

キングオブコント2012で準優勝を果たし、結果をしっかりと残したにも関わらず「給料が8千円」という現状に納得ができず、森田と東ブクロは松竹芸能に対して不満を募らせていっていたという。

1年前から話し合いを続けていながらも平行線をたどり、さらには金銭的にも満足させるつもりであると事務所は伝えていたにも関わらず、到底納得のできる給料の金額ではなかった。

結果、最終的には井上貴弘社長とさらば青春の光での話し合いが持たれ、退所することを伝えることになった。円満退所であると思い込んでいたが、上記の「彼らの芸能活動を支えることが不可能と判断」「今後一切、関わりはございません」という「絶縁」にも近い文言で退所が発表されることになり、森田自身も驚いたという。

後に、森田はこの事務所の発表について、次のように語っている(*2)。

「彼らを支えることはできません、みたいな。後から専門家に聞いたら、『これは、反社の破門状と一緒です』って(笑)って言われる文章で。当時は僕ら、ブクロが給与明細張り出したろかみたいなとかあったから、そういう対応やったと思うんですけど」

退所からのスキャンダル

松竹芸能からの「破門状」を出されたものの、この時点で森田は「個人事務所を設立して独立する」ということは考えていなかった。では、なぜ独立を選ぶことになったのか。その理由は以下のようなことがあったからだという。

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