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千原ジュニアの「お笑いストリートファイト」事件、当事者であるケンドーコバヤシ・小籔千豊・フジモンらによって明らかとなったその真相

1990年代、大阪ではうめだ花月と心斎橋筋2丁目劇場が若手芸人たちの切磋琢磨する場所として存在していた。うめだ花月と言えば、ナインティナイン・雨上がり決死隊・FUJIWARAなどが所属していた天然素材、心斎橋筋2丁目劇場はダウンタウン、千原兄弟などを輩出した。

天然素材は94年にナインティナイン、96年に雨上がり決死隊が脱退し、ブームは終息していき、拠点としていたうめだ花月は人気に陰りが見え始めた。一方、千原兄弟が中心となり、心斎橋筋2丁目劇場の人気はうなぎのぼりとなっていく。

同じ吉本興業内ながら、社員やスタッフ同士「ライバル関係」にあり、火花を散らすような状況であったという。そんな状況の中、「お笑いストリートファイト事件」が勃発する。

ケンドーコバヤシの証言

「お笑いストリートファイト事件」として、最も多く、繰り返し語っているのはケンドーコバヤシであり、その時の詳細について、2022年2月12日放送のFM OSAKAの番組『TENGA presents Midnight World Cafe TENGA 茶屋』の中で次のように語っている(*1)。

「俺とサバンナ高橋と、ジュニアさん3人で飲み行こうかってぶらぶら歩いてたのよ、難波を。アメ村やったかな。ほんなら向こうから、FUJIWARAのフジモンと、小籔と土肥ポン太と多田が歩いてきて。で、当時、俺ら違う劇場に出てたのよ。だから、敵対関係みたいな」

正確には、2丁目劇場側の千原ジュニア・ケンドーコバヤシ・サバンナ高橋、そしてうめだ花月側はFUJIWARA藤本敏史・小籔千豊・土肥ポン太の3対3の状況であった。

「向こうはうめだ花月に出てて、こっちは2丁目劇場に出てて。これな、俺もう『なんやねん、これ』って思ってんけど(笑)『アホやな、この人』って思ってんけど。俺は嬉しかったのよ。普段、一緒に劇場出てへんから」

「飲みに行くって言ってたし、向こうも飲みに行く感じやったから。『ああ、なんか一緒に飲みに行って、色んな話をしたいなぁ』って思ったの、俺はな。ほんならジュニアさんがさ、『おお、うめだ花月の面々やんけ』って一言言うたの」

「ほんなら、いきなりフジモンは『なんやねん、ジュニアその言い方。一緒の芸人やんけ俺ら』って。ほんなら『あ?』ってジュニアさんが言うて。『よっしゃ、お笑いストリートファイトやろか』って言い出して(笑)」

「もうジュニアさんがサクサクマッチメイクして。『俺とフジモンでやって、小籔とコバでやれ。で、高橋と多田がやって、誰か怪我したらポン太入ってこい』みたいな(笑)フジモンはさ、『何言ってんの、ジュニア。もうやめようや』ってビビリまくってんのよ(笑)」

「足、震えてんねん。『やめようや、みんな見てるやん』って。たしかに関西ローカルよく出てる俺らが向かい合って、言い合ってるから見物人集まってくんねん。ほんなら小籔が『あ?』って。『そこまで言われたら引けませんわ。大喜利でいいですか?』って」

「で、フジモンが『小籔、何言うてんねん、やめろ』って(笑)」

千原ジュニアの証言

千原ジュニアは、この「お笑いストリートファイト事件」についてケンドーコバヤシと証言の類似性が高いが、この事件における「核」の部分が大きく異なる。

千原ジュニアは、2020年8月12日配信開始となったYouTube動画『ジュニア小籔フットのYouTube』の中で、小籔の初対面での印象に関連して、次のように語っている。

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