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マヂラブ野田クリスタル、大宮で芸人として「静かな死」を迎えつつあったところを蘇生してくれた後輩芸人の存在

マヂカルラブリーは2007年に結成し、ヨシモト∞ホールに出演していた。だが、出番はなかなか得られず、2014年10月に大宮ラクーンよしもと劇場へと主戦場を移す。

今では「大宮セブン」として人気もある芸人の集まりとされているが、初代の大宮セブンはマヂカルラブリーを始めとして、犬の心、えんにち、サカイスト、GAG少年楽団、タモンズ、ブロードキャスト!!、山田菜々、すゑひろがりずというメンバーだった。

この当時、大宮劇場の選任となることについて、野田クリスタルは次のように思っていたと語っている(*1)。

大宮セブンになって、要は都落ちですよ、マヂカルラブリーもね。今でこそ、大宮セブンってみんな活躍してるからあれだけども、もう大宮セブンって謎団体の、しかも下の方にいた、と

「(同時期にスタートした幕張劇場)幕張っていうのは、本当に華やかな。チョコプラとかいた、超華やかな。でも、大宮っていうのがもうタモンズ、GAG、マヂカルラブリーっていう、冗談みたいな」

「嘘でしょっていう。要は、真っ直ぐ売れることはないんだな、みたいな。営業とか大宮で食っていくことに決めた人たちだなって思われたから」

大宮劇場の初期

立ち上げたばかり、しかも期待もあまりされていないようなメンバーであり、吉本興業の中でも肩身の狭い思いをしていた。社員の中には、野田たちがいると「大宮臭いな」などとバカにするような人もいたという。

さらに、新宿のルミネに出演していると、「今日大宮じゃないの?」「なんで俺たちの新宿にお前たちが来てるの?」といった対応をされていたのだという(*2)。

客席も空席ばかりで、営業の仕事もない。当然ながら野田たちもアルバイトをして食いつないでいたのだが、そんな中、大宮ラクーンよしもと劇場の初代支配人は、自らメンバーを選出したという責任を感じ、「お笑いだけでお前たちを食わせる」と目標を掲げる。

大宮の名士たちを集めて接待し、支配人は芸人たちとともにその宴席を盛り上げた。結果、その名士たちが「チケット40枚購入」といったことをしてくれることにより、次第に客席は埋まるようになり、そして営業にも呼ばれるようになった(2022年9月25日放送の関西テレビ『マルコポロリ』より)。

芸人としての死

野田クリスタルは宴席が苦手で、こうした場には顔を出すことはなかった。だが、他の大宮セブンのメンバーの名士たちによる接待が功を奏して、劇場や営業の仕事だけで生計を立てることができるようになる。

念願だった「アルバイトをせずに済む」生活になるのだが、野田クリスタルの心境は複雑だったという(*3)。

「俺は、大宮セブンになって、初めてメシが食えるようになったんですよ。大宮セブンに入ったことによって、大宮周りの営業などがあって、メシが食えるようになったんですよ」

「これ、どういうことになるかって言うと、俺はこれまで、ネタやらなんやらを頑張ると飯が食えると思ってた世界が、もうネタどうでもいい、と。もっと接待やらなんやらをした方がメシが食えて、しかもそれをすることによって、もう一番嫌いだったバイトをしなくていい」

バイトをやめて、生活ができるとなった時に、嫌いな接待をすることによって食えるルートしかないって思った瞬間、死んだかもって思ったの。だって、生きながらえる…これが食えないんだったらやめれるじゃないですか。死なない方向もあるんですよ、食えないんだったら。食えてしまってるっていうのが一番残酷で

芸人だけの収入で生計を立てることができる。だが、当時の大宮セブンの状況では「ネタを頑張る」といった努力の方向性ではなく、営業を獲得するために接待をしていくといったことが望まれていた。

その現実を突きつけられ、野田は一時「芸人としてもう終わったんだ」と思うようになっていったのだという。まさに静かな死を迎えつつあった野田だったが、そこに「ある後輩芸人」がやってくる。

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