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爆笑問題はなぜ、自ら望んではいなかった「タイタン」設立をするに至ったのか?

1990年、爆笑問題は太田プロから独立し、事務所「スパイシーフルーツ」に所属することになる。太田プロの元マネージャーであるS氏に誘われる形で独立したわけであるが、その当時の事情について、爆笑問題・太田光は次のように語っている(*1)。

「俺らをスカウトした奴(S氏)がいて、『俺がたけちゃんを育てた』って言うから、その人に付いて行ったんですよ。そしたら、後でたけしさんに訊いたら、『あんなヤツ、知らねぇよ』って」

「それで、一回、たけしさんに初めて会った時に、たけしさんの担当だったっていうマネージャーが、『たけちゃんに会ったことないだろ?』って。フジテレビの特番で、それこそたけしさんが白塗りして何かやってたんですよ、相変わらず(笑)」

「フジテレビが、まだ河田町の頃ですよ。それで、俺らが緊張してたら、そのマネージャーだったって人が、『大丈夫だよ。俺が育てたようなもんだから』って」

「それで、『今からたけちゃんのところ行くから』って言って、『殿!』って言ったんですから、そいつ(笑)お前、さっきまでと全然違うじゃねぇかって。『殿、すみませんけど、今、よろしいでしょうか?』って」

「たけしは俺が育てた」と騙るマネージャーに、太田は事務所独立を誘われたわけである。

また当時、太田プロ側からフジテレビの佐藤義和プロデューサーを紹介され、そうしたしがらみに「やっぱ、太田プロいるとこういう面倒くさいことあんだな」「ここにいてやりにくい状態より、自分がやりたいことができるのかな」と思ったこともあり、太田は独立を決意してしまったという(*2)。

太田プロ側の怒りと「干された」爆笑問題

だが、この当時、マネージャーS氏に声をかけられていた芸人は、爆笑問題だけではなかった。タイタン・太田光代社長は、当時の様子について、2025年1月26日放送のテレビ朝日系の番組『有吉クイズ』の中で、次のように語っている。

「彼(太田)が誘われたんですよね。その時の新人、みんな誘われてたんです。その翌年の新人も含めて。とんでもないです。本当にとんでもなかった」

手当たり次第に、太田プロからの引き抜きを画策していたS氏は、太田プロを退職する際に不義理を働いたということで、さらに爆笑問題の立場を危ういものにしている(*3)。

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