見出し画像

千鳥・大悟、「芸人引退」を本気で考えていた山里亮太を引き留めるためにとった「愛にあふれた行動」

M-1グランプリ2004で、鮮烈なM-1決勝初登場を飾った南海キャンディーズは、アンタッチャブルには負けたものの準優勝を果たす。そして、翌年2005年も決勝へと駒を進めた。

ところが、昨年の快進撃とは異なり、島田紳助の「72点」という低得点を始め、辛い評価が下された。前年に「彼のツッコミは一つも外さない」と大絶賛していたラサール石井もまた、「ちょっと並列的だから、上がってかないでまたスタートラインに戻る感じが、ちょっとしんどかったかな」と評している。

後半にかけての盛り上がりに欠け、ボケとツッコミの羅列に終わってしまったこともあったためか、結果的には低評価に終わってしまった。この苦すぎる結果で、山里はショックを受け、翌日から次のような状態に陥ってしまったと語っていた(*1)。

M-1で味わった「天国と地獄」

「私、2005年のM-1で、本当に死ぬほどスベりまして。もう、お笑い芸人続けるの無理ってなっちゃって。街を歩いてる人がみんな、俺のことを面白くないって思ってんなって思って、怖くなっちゃって」

「劇場出番を出るのも怖くなっちゃうくらいの時期があったの。それで、芸人辞めようって思ったの」

M-1グランプリ2005決勝の記憶は、まさしく「トラウマ」として残っているようで、山里は次のようにも語っている。

「やっぱり嬉しいのが、(ドリーム東西寄席で)芸人席の方からも笑い声ちゃんと聞こえるの。でも、怖くてそっち見れなくて。しかもダウンタウンさんいらっしゃるから」

「俺はプチトラウマとして、M-1 2005の時、審査員にいる松本さんがもう『違うな』って見てたのがトラウマだから。それ以来じゃないかな、松本さん。M-1は2008に出てるから、その時以来、松本さんに見ていただいて」

千鳥・大悟からのライブ出演依頼

M-1グランプリ2004からの落差が大きく、最下位という烙印を押されたことで芸人として「自信喪失」をしてしまった山里。引退すら考えた彼に、師と仰ぐ千鳥・大悟は直接的に「そんなこと言うな」などと説得するということはなかった。

ただ、千鳥が初めて東京で開催したオールナイトライブに「お前、最後にするかせんかは別にエエけど、お前が来るって言ってあるから、来てくれや」とだけ依頼する。「もちろん行きます」と山里は快諾し、ゲストとして出演することになる。

ここから先は

1,311字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?