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バナナマン設楽、「タレント番組出演本数ランキング」上位常連芸人を生んだ渡辺正行の付き人時代
バナナマン・設楽統は地元の高校卒業後、西武鉄道に就職し、駅員として勤務していた。だが、半年で退職してからはフリーターとなり、お笑い芸人を目指すことになる。設楽は養成所に通うという選択はとらず、コント赤信号のリーダーこと渡辺正行の付き人になった。
当時19歳であった設楽の様子について、渡辺は次のように語っている(*1)。
「設楽が、運転手してて。ウチに迎えに来るわけよ。『あそこ、道細いから気をつけてね』って。で、ウチに運転手としてついて、3日目ぐらい。朝来て、『リーダー』『なに?』『すみません、リムジンぶつけちゃいました』って」
「『だから、あそこ道狭いって言ったろ』『はい、すみません』『だからお前さぁ』って。あんまり、怒らせないの。怒っても、『はい、うん、そうなんですよ』って。当時からフワーッとしてて。なんかスカされちゃうみたいな。設楽はさ、そんな奴だったの(笑)」
「それを売れてからさ、『お前、運転手になって3日目にぶつけたな』って言ったら、『リーダー、違いますよ。初日ですよ』って(笑)
渡辺は設楽のイメージについて聞かれると、「掴みどころのない飄々とした」人物であると繰り返し語っている。そもそもなぜ渡辺の付き人になったのか、その理由については、設楽は次のように語っている(*2)。
渡辺正行の付き人になったきっかけ
「日村さんと出会う前にさ、渡辺正行さんのところに、最初に行ったのは19歳、コンビ組む前だから。その当時、ウチの父親の知り合いの、大学の知り合いの人づてで、リーダーが当時やってた劇団の稽古のところに、『見学に連れてってやる』って言われて、俺、行ったの」
「で、初めて見たの。渡辺正行、初めて見たときにさ、やっぱさ、テレビとかで見てたから、輝いてて。周りにいっぱい人いるんだけど、やっぱりリーダーは垢抜けてて、光が当たってる感じしたもんね。今、でもその感じが全然ない(笑)そんなことないけど(笑)最初見たとき、『あっ!』ってなるよね」
「そこからはさ、『付き人やるか?』って言われて、『はい』って言って、運転手やらせてもらって」
付き人になってからは、設楽は朝、渡辺の自宅に迎えに行って、着替えの準備や運転手としてテレビ局への送迎を行っていた。その当時のテレビ局でのエピソードについて、設楽は次のように語っている。
とんねるずとフジテレビで遭遇
「そこからはもうテレビ局、あの頃のリーダーなんて毎日、テレビ局行くから。毎日、いろんな人に会うんだけど、最初の内はさ、自分が冷静でいるっていうのを、自分の体の中に閉じ込めて外に出さないようにすることが、本当に大変だった。だって、すれ違う…昔の河田町にあるフジテレビ、今のお台場じゃない時よ。そこでとんねるずさんにまず会ったの。あのとき、とんねるずさんってまだ20代かな。25~6年前だから」
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