NEXCO西日本・九州の高速道路計画
九州の高速道路を見ていると、とにかく最初に関門橋から福岡を通って南進し、利用者が減るであろう鹿児島と宮崎は、当初の九州縦貫自動車道の計画として両方を通過することも大変なので、とりあえずえびのから二股に分かれてつなげておこう、という意図が読み取れます。
実際、長崎・佐賀と大分も九州横断自動車道として開通し、とりあえず県庁所在地は全部高速道路を行き渡らせ、建設省(当時)の目的は一旦果たされました。その後、東九州エリアや、人吉のような山の中じゃなく海岸沿いの都市を結べよとばかりに南九州自動車道が意外にスムースにどんどん開通して行きました。全国クラスの企業がある延岡も例外ではありません。
しかし現在から将来に渡って今後開通して行くであろう道路を全て地図上で開通させてみると、なぜこんな計画にしたのかがわからない場所も多いと思いませんか?
例えば、中九州横断道は、大分市から阿蘇山のカルデラを通って熊本市までつないでおり、JR豊肥本線とほぼ同じルートを貫いています。実際観光シーズンになると、阿蘇山周辺(特に熊本市側)は渋滞に悩まされているので、こういった高規格道路があるのは悪いことではなさそう。
もう一本、その中九州横断道の少し南側に、延岡市から高千穂と山都を経由して、やはり熊本市へ伸びる九州中央自動車道。この道路は、中九州横断道と比べても細切れの開通が多く、特に宮崎県内は、ちょっとスムーズに走れたと思ったらすぐに現道になってしまいます。しかも、めぼしい都市はなく、高千穂が観光地として多く車が集まりそうな場所となっています。しかしそれ以外は、申し訳ないのですが五ヶ瀬や山都にわざわざ高規格道路を通すほどのことかと考えてしまいます。
というのも、中九州横断道と九州中央道、今はどちらも国土交通省が作っているわけですから、資源を片方に集中して、早く開通させる方が良かったのではないかと思えてしまいます。
前述と同じような内容ですが、このエリアも非常に不可解です。
宮崎県の東九州自動車道と都城志布志道路。
地図でご覧のとおり、このエリアには大都市はありません。しかし南北に3本の高速道路(高規格道路)が走っています。しかも、東九州道の末吉財部〜志布志は、都城志布志道路とそんなに離れていません。さらに、どちらも国土交通省です。
百歩譲って全ての道路が必要だとしても、東九州道は国分から垂水を経由して鹿屋に至るならともかく、急峻な地形であることはわかりますが、なぜ末吉や野方を経由して鹿屋に行ってしまったのでしょうか。鹿屋に住む知人に伺ったところ、別に垂水経由でも良かったんじゃないのかなぁ、とのことでした。
そして都城志布志道路は間もなく全線開通し、東九州自動車道の串間や日南の区間も宮崎市と繋がります。この狭い過疎のエリアに、3本の南北道路。どこかにお金を集中させて、もっと早く開通させる方法はなかったのでしょうか。別に志布志から都城を経由して宮崎市へ行ってもいいのではないか。あるいは、志布志から末吉財部を経由して都城へ行ってもいいのではないか。(田川、後藤寺の人が福岡に行く高規格道はないし、佐賀市内から久留米に行くのに高規格道もないのに。混雑渋滞はそちらの方が遙かに多い)
こんなこと言っては恐縮ですが、これらの道路を「オラが街に通せ」とごねた方々は、開通する頃にはもうこの世にはいらっしゃらない可能性があります。さらに言えば、対面通行の、国道に毛が生えた程度の高規格道路ができる程度なのではないかと推測します。
観光にせよ、私用にせよ、私だってもちろん山道を通るよりは、正直東九州道や九州中央道を通りたい。そんなのは当たり前なのですが、何本もの高規格道路を計画しても、作るのはまず一本ちゃんと通してからにしてもらわなければ、本当に21世紀中に完成しないでしょう。
現在人口としてはとても少ない日本人の10代、20代の人が、将来そんなに頻繁に通るようになるのでしょうか。五ヶ瀬から山都、串良から末吉などは、今から20〜30年後、昼間であっても、今の深夜の時間帯ほどの交通量にしかならないと思います。
批判ばっかりしてもいけないとは思いますが、これらの道路、作ってもらう地域の方はいいのだと思いますが、もっと計画性を持って頂きたいと思います。