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Morocco3: おびただしい人だかりに、佇む姉妹。そこに降臨した心優しい神さまたちのお話。

無事に乗り込んだ電車は、比較的空いていた。姉妹2人で並んで座ることができた。しかし、油断はできない。最終到着駅のマラケシュに行くには、1度乗り換えが必要なのだ。1つ駅を過ぎたところで、隣のおばさまに乗り換えの駅はあといくつで着くのか聞いてみた。するとおばさまは、ジェスチャーで私はわからないから彼に聞きないと教えてくれた。素直にその言葉に従い、スーツ姿の男性に聞いてみた。「次の次だよ」と彼は親切に教えてくれた。周囲のカップルもその駅で降りるということだ。とりあえず、彼らに教えを仰いで乗り切ろうと決める。

次の駅で念のためスーツの男性を見ると、首を横に振っている。なんて良い人なんだ。ここの駅ではないことを確信し、安心する。結構、大きな駅だった。この駅がいちばんカサブランカに近いところだと思うと妹が言っていた。

次の駅につくちょっと前くらいから、電車内の雰囲気が変わった。駅が見えてきたところで、例のスーツの男性の方を見るとうなずいている! ここだ! 降りる時間なのだ。ありがたや。私もこれからも旅人に親切にしようと心に誓った。

カオスな人だかりに立ち尽くす姉妹。降臨する神さま

大きなスーツケースを持ってCasa Voyageという駅で降りる。駅にホームは4つあるので、ここでマラケシュ行きを待ち続けて良いのか、確認が必要だ。駅員さんをみつけて、すかさず尋ねる。結果は「ここで待て」だった。30分ほどしたら、乗り換えの電車がやってきて、それに乗ればよいとのことだ。

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予定時間ちょい前に電車が到着した。しかし、何か変だ。すかさず、これはマラケシュにい行くのかと聞き込みをすると、この電車は違うと言われる。さらに不安になり、とりあえず駅舎のあるところまで調査に出かけることにする。そこで切符預かりをしている叔父様に聞くと、やはりホームは先ほどのホームであることがわかる。予定時間も変わっていない。さらに、行き先の表示案内の場所も確認し、再び3番ホームに戻る。

スーツケースを二つ抱えた妹が呆けた顔で待っている。ここからが長かった。予定時間を過ぎても電車は来ない。次に来た電車は、掲示板で確認すると行き先が違っている。これではないのだ。そうしているうちに、どんどんどんどんホームに人があふれてきた。何か嫌な予感…

ホームの表示は行き先のマラケシュに変わった。もうすぐ来るはずだ。そう思ってからが長い。だんだん日も陰ってきた。時間も過ぎている。一人だったら、かなりのプレッシャーがかかる時間帯だ。もしこのまま運休になったら…。次の一手を打つべきか。…ここで妹が、この辺で泊まった方が良いかな、などと弱気に言い出す。すぐ近くにいる人がびびっていると、急に心が落ち着く不思議。まぁ最悪タクシー探せば良いかと即、気を取り直し、たそがれ姉妹はホームに立ち尽くした。

結局1時間強待って、やっと電車がやってきた。電車が来てくれたのはとても嬉しかったが、その電車におびただしい数の人間が群がることになった。カオスだ…昔、ウガンダで見たあり得ないほどの人たちが乗ったバスが脳裏をよぎる…。

すでにお気づきの通り、電車に乗るためには、さらに階段を2−3段上がらなければならない。しかもドアは1ドアタイプで、入り口にはたくさんの人達がすでに群がっている。デカいスーツケースを携えた日本人姉妹は、そこに参戦できず、ただただ佇んでいた…勝てるわけがない、こんなエネルギッシュな人たちに…

妹はこれはもう、電車に乗れないんじゃないかとまたびびっている。

しかし、これに乗れないと、かなり苦しい展開に追い込まれる。24時なんかすぎたら、宿の人たちに見捨てられるかもしれない。列の最後の方になんとか並ぶ。俄然不利な状況は続いていて、どんどん私たちの前に人が割り込んでくる。並ぶなんて習慣ないよね~。すると、お前たちの番だからと順を通してくれる人が現れた。あなたさまは紳士か! 神か!  

しかも私たち姉妹は、この方以外に、電車の旅で忘れられない人たちにあと2人も出逢うことになるのである。

その神さまの後押しにより、多くの周りの人達にギョッとされながらも、なんとかスーツケースを運び込む。こんなことってあるんだなぁ。しこたま頭を下げ、感謝の意を表現したが通じただろうか。

席を譲り、黙って消えたおじいさん

入ってみると、電車はコンパートメント席だ。右側が通路で、左側に乗車席が固まっている。4人くらいが腰掛けられる座席が向かい合っていて、8席ごとに部屋が区切られているタイプだった。すでにどの部屋もほとんど埋まっていて、数人が通路に立っていた。

スーツケースが幅を取るため、車両の通路を大方塞いでしまう。スーツケースを置くと、痩せた人1人が通れるかどうかだ。このままでは大迷惑。なるべく迷惑がかからないようにと、車両の真ん中まで進んだ。コンパートメント席を恨めしく眺める。ここから4時間立ちっぱなしだ。カサブランカからマラケシュまでの車窓は緑が多い。眺めは素敵だ。でも、疲れる。なんと言っても24時間くらい飛行機に乗っていた後なのだ。4時間かぁ。

もう一度恨めしくコンパートメント席を見ると、あと1人は入るなぁと思う。しかし、スーツケースは心配だし…。「詰めてくれれば2人座れそうだよね〜」と妹に話しかける。するとどうだろう。空いている席の隣にいたおじいさんが突然立ち上がり、ここに2人で座れという。え? 日本語通じたの? え?と思ったが、さすがにおじいさんに席を譲ってもらうわけにはいかない。私たち姉妹はみすぼらしくも日本人代表なのだ。

「いえ、大丈夫です」と答える。やせ我慢である。

しかし、おじいさんは座れという。こちらも言葉が不自由なため、自分の気持ちが伝えられない。おじいさんは頑としてそこに座れと仰り、通路で私たちのスーツケースを動かないように抑えてくれてさえいる。いい人すぎる。こんな恩義にどう答えたら良いのだろう。あと4時間、この老人はここで頑張ってくれるつもりなのだろうか…。

そう思いつつも疲れていたので、結局おじいさんの厚意に甘えて座らせてもらった。カップル2組、お母さんと子どもと私たちで一緒に座っていると、今度はお母さんが次々と子どもを呼び寄せている。これは席を譲らねばならないのではないかと思い、立ち上がると、またおじいさんがいいからお前たちは座っておれ、という。恐縮しながら、座り続ける。そのうちお母さんとも仲良くなった。

疲れてうとうとしてしまっていた。席を譲ってくれたおじいさんは、いつの間にか消えていた。御礼をしたいと思っていたのに、何も言わずに立ち去ってしまった。おそらくCASA VOYAGEから2つ目の駅で降りられたのだと思う。ちゃんと御礼をもう一度言いたかった。旅は本当に一期一会だ。その瞬間瞬間にきちんと向き合わないと、もう二度とチャンスは訪れない。大切だと思ったものをおざなりにすることは、罪なのだ。いつだってそうだ。

昔ながらの懐かしい時を奏でるお母さん

だんだん日も暮れてきた。たぶん、普通ならそろそろ夕飯の時間なのだろう。お母さんが子どもたちに配るパンを私たちにもちぎってくれた。コンパートメントの住人たちみんなにお母さんはパンを配っている。子どもたちと一緒にモロッコのパンを味わう。優しい味がした。お母さんの子どもは双子の小さな姉妹、面倒をみるお兄ちゃん。乳飲み子の赤ちゃんの4人のようだ。しかし、途中で電話しているときにはビデオチャットをしていたのだが、その電話の向こうでも子どもの泣き声がしていた。いったい何人の子どもがいるのかと思う。そして、とても良いお母さんなのがわかる。お兄ちゃんは一生懸命妹たちの面倒を見ている。良い家族なのだなとほのぼのする。

席を譲ってくれたおじいさんといい、このお母さんといい、こういうところもアフリカなのだ。人なつっこくて、優しい。だから、また旅したくなるのかなと思う。

思いついて東京から持ってきたクッキーを渡した。このクッキーは三田にあるルスルスというお気に入りのお菓子屋さんで、妹が買ってきてくれたものだ。お母さんは、「これ、日本のお菓子なの?日本はお菓子がとても美味しいのよね」といってとても喜んで、そしてモロッコのパンと同じようにみんなに分け与えている。子どもたちだけではなく、コンパートメントに乗り合わせたすべての人達に、クッキーも配る。

みんなで分け合って、みんなで食べる。こういう習慣が、私たちの子どもの頃は日本でも当たり前だった。どこの子どもも、おっさんも、おばさんも近くにいたら、みんなで分け合って食べた。いま東京で、電車のなかでお菓子を配ったら、変人扱いを受けるに違いないし、誰かに配られても、ちょっと怖い。会社では好き勝手に個人個人で買ってきて、好きなものをほおばっている。それも自由で良いけれど、みんなで分かち合うという習慣がこんな風に自分を癒やしてくれることに改めて気付かされる。狩猟民族以来の、分かち合うという精神*は、心を温める。

ルスルスは手作り感満載で、甘さ控えめの上品な味が特徴だ。すごく優しい味がする洋菓子屋さんだ。私たちは大好きなお菓子屋さんなのだが(特に秋に売り出されるモンブランは最高だ)、正直モロッコの人達には食べ慣れている味に近かったのではないかと思う。なぜなら、彼女たちもまさに手作りのお菓子を食べているからだ。それは、日本では結構贅沢なこと。こと東京では、スーパーで売っている大量生産されたお菓子を食べるより、小売店のお菓子は割高で、そこそこの贅沢なのだけれど、モロッコでは日常だ。

お母さんや子どもたちを見ていても、それほど感動していなかった。最初に目を輝かせていたのに、期待とはちょっと違っていたようだ。後から知ることになるのだけれど、モロッコのお菓子もとても美味しい。アーモンドがよく使われていて、ほんの少しジャスミンの香りがする。甘すぎず、味が上品なのだ。一緒に振る舞われるミントティーが甘いから、お菓子の甘さは控えめなのだと、後に知り合いになるテルマが教えてくれた。

お母さんがジャスミンの香水を娘につけてあげる。その容器を私たちに向けて、手を出しなさいという。私たち二人もジャスミンの香水を付けてもらった。良い香りだ。優しさに包まれながら、周囲はすでに真っ暗になっている。ジャスミンの爽やかな甘い香りとともに、私も昔、母や兄弟たちとこんな時間を過ごしてきたなと昔のことを想い出す。

賑やかに話し続ける弟や妹とそれに答える母親。私はどちらかというとずっと聞いていて、時々口を挟むといった感じだった。それが心地よかったからなのか、役割としてそうしていたのか、今ではよくわからない。ただ、随分と貴重な時間であったことは確かだ。3人目の神さまは、いろいろなことを想い出させてくれた。

マラケシュ近くになると、電車の中は再び賑やかになった。待ち合わせがあるのだろう、そこかしこで人々が電話をかけ始める。網棚の上の荷物も下ろされていく。さて、大きなスーツケースをもった私たちは最初に出るべきか、最後に出るべきか。
一応終点はMarrakeshだけれど、何かあったら困るからやはり早めに準備することにした。

 駅は大きくて綺麗だった。建物もなかなか凝っている。構内にはマクドナルドもあった。さて、ここで私たちは宿のお迎えを捜し当てなければならない。たくさんの勧誘する人たちが現れる。「タクシーか? メディナに行くか?」何度も聞かれた。「すでに約束がある。ホテルの迎えを待っている」と答えると、別の人達のところへと足早に去って行った。商売もたいへんなのだ。

しかし、ここでも待てど暮らせどドライバーに会うことができない。宿に電話しようと試みるも、なぜかうまく行かない。駅ビルの外に出てみたり、中に入ってみたりを繰り返す。その度に勧誘の人達に声をかけられたり、じっとにらまれたりする。もう真っ暗なこともあり、かなり心細い。

そんなこんなを繰り返していると、マクドナルドの方から笑顔で寄ってくる人がいる。また勧誘かと思っていると、パウチした白い紙にRiad Bindooと書かれている。やっと会えたのだ。ドライバーに挨拶し、車に乗りこむ。見た感じ、どう考えてもタクシーではなく、個人の車のようだった。新しくて良い車だった。

メディナまでは15分くらい。その間、世界展開しているようなホテルが乱立するところなどを通っていく。リヤドのあるところまでは、車で入れないのでホテルの人が迎えにきてくれていた。運転手さんに言われていた額を払い、リヤドの人に着いていく。前にモロッコに来たときにも、見覚えのある通りだ。そして、外からは土の壁と重厚なドアで頑としてなにも受け付けないような扉が開くと、そこには中心に小さなプールのある外から想像もつかないような青い世界が広がっていた。

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リヤドに泊まる度に思う。それぞれの個性があって、中庭(といってもかなり小さなものから、大きなものまでいろいろある)の中心には噴水などの水辺がある。シンメトリックに部屋が配置されていて、美しい調度品で飾られている。外からの何ものも受け付けないような強固な姿と、中に入ったときの繊細さの落差に毎回心動かされる。

宿に入って、妹もはしゃいでいる。二人で泊まるところは、少しだけ高いところにした。1泊6000円くらいだったかな。大喜びで360度カメラで写真を撮っている。さっきまでびびっていたのが嘘のようで、面白い。
熱めのシャワーを浴びて、とっとと寝ることにした。明日、朝食を食べたら、宿の人とツアーについて相談する。

P.S. モロッコに行ったときに書いた日記を読みながら、また書き直すと、当時のことがありありと想い出されて、楽しいです。やっぱり旅って良いですね。優しい人たちとの出会いが、新しい気づきをもたらしてくれます。早くワクチンが出来ると良いなぁ。

*狩猟採集民と分かち合い カメルーンにバカ族という人たちがいる。彼・彼女らは、身長150センチくらいのピグミーの人たちで、主に狩猟採集生活をしている。捉えた獲物や得られたものは、みな平等に分配する。どんなに狩りが上手だとしても、尊敬は受けるが、多くもらうことはないという。もし、独り占めしたり、成果を威張るようなことがあれば、忌み嫌われるとのことだった。現代のバカ族の人たちと、自分たちの祖先だった狩猟採集の人たちは同じではないかもしれないが、原初にそういう精神が私にも流れているように思ったりする。農耕の誕生が人のあり方を心も含めて大きく変えたと強く感じる。




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