どうして女性は全部を選べないのだろう?
2013年にある新聞社向けに2本、記事を書きました。どちらかを使ってくださいということで、行き場を失っていた方の記事・タイトル「どうして女性は全部を選べないのだろう?」をここに掲載しようと思います。
減り続ける資源と時間
胎児の時期には約700万個もあった卵子のもとは、出生時までに約200万個となり、思春期までには約5万個ほどに減少すると言われる。女性の身体には、卵巣という器官が左右に1個ずつあり、思春期になり、初潮がはじまると毎月そこから数個が成熟へと向かい、毎月1000個くらいの卵子が失われる。最終的には1個の卵子が、片方の卵巣から放出される。これが排卵だ。月に1度訪れる排卵で使われる卵子は、一生にたった500個あまり。
これが女性であることの、科学的な一つの要素だ。排卵という生理機能によって、月のなかでも女性はホルモンのバランスが大きく変化する。ホルモンはこうした身体の生理機構に密接に関わり、心にも大きな影響を与える。ストレスはホルモンを狂わせる。そして、排卵を行えるのは一生のうちの限られた期間だけだ。年齢を重ねるほど、利用できる卵子の数は減り、関わるホルモンも低下していく。
すこぶる要領よく、運の強い一握りの人間になれ
命を育むために女性は9か月ほどを胎児と過ごす。人間の子どもは、誕生後も手厚い世話を必要とする。限られた人間との愛着形成がきちんと行われることで、健やかな成長が担保される。
子育てと仕事、その両方を両立させることは難しい。子どもは手間と時間がかかる。ほとんどの社会人が時間と能力をかけて働く会社のなかで、子どもの世話をして、時短をし、互角に競争力として存在感を示すようになるにはすこぶる要領が良く、運の強い一握りの人間になれと言われているように思えてならない。
社会で認めてもらえるようになる頃には、子どもを産めるギリギリのタイミングだ。
でも、どうして女性は全部選べないのだろう? 家族も、仕事も、全部。
仕事の存在
奇しくも日本経済を救うのは、女性の社会進出だとも言われている。もし本気で取り組むのなら、子どもを産み育てる女性の働き方に合わせれば良いのではないか。働き盛りのお父さんも、独身の男性も、女性も、子どものいる女性と同じ働き方をする。そんなことをしたら、仕事が回らないと怒鳴られそうだが、会社とは誰かがいないから回らないということはないものだ。無いところには水が流れ、回るように工夫がなされる。
周りを見回してもそうではなかっただろうか。雇用だって増えるかもしれない。そんな風にできなければ、少子化の問題は解決できないのではと思う。金銭だけの問題ではない。
仕事は生きていくプライドなのだ。誰にとっても。
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7年前に書いた記事を久しぶりに読み返した。あんたがアホだからそうだったのではないかと言われるかもしれないが(もちろんそういう面もあろう)、求められていたのは明らかに猛烈に働くことだったように思う。さらに昔の若い頃には、いつか私も子どもを産むかもしれないのだから、同僚のお母さんたちを助けねばと猛烈に働いた。でも今にして思えば、お母さんたちに合わせて同じように働けるように持っていけば良かっただけのことだった。頭が悪かったのだ。彼女たちはめっちゃ優秀だったし、そういう制度にしたとしても、やはり追い込まれたのは私だったかもしれない。
7年経って、時代は大きく変わったのだろうか? 不謹慎だと言われるかもしれないけれど、コロナで大きく時代が変わってくれたら良いなと思う。
性がハンデになったら、本当の平等はない。
あと、仕事だけがプライドじゃなくてもいいなと、最近では思えるようになった。では他に何があるかと問われると、とても難しいものがある。やはり、アホなのかもしれない。このままだと寂しいことになりかねないので、なんとかせねばとそれはそれで考えあぐねる今日この頃。
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