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【3分で読める世界史】対抗宗教改革

前回まで新教およびイギリスの歴史をお届けしましたが、今回はカトリック世界に戻ります。

プロテスタントが広まるなか、カトリックはどうしたのか?

この記事を読めば、プロテスタントに対抗するカトリックの様子が分かります。


①対抗宗教改革

ヨーロッパではプロテスタントが広がり、イギリスは離反(国教会)。

焦りを隠せなくなったカトリック側は変革を迫られました。

新教側に批判を受けたところを見直すべきという論調が高まり、ついに北イタリアのトリエントで公会議が行われました。

この流れを対抗宗教改革と呼びます。


②トリエント公会議

1545年に開始されたトリエント公会議は当初、宗教対立を話し合いで解決することを目的としていました。

しかしプロテスタント側が出席を拒否。こうして会議はカトリックの教義、体制を再構築する場となりました。

まず教皇の至上権が確認され、教義を再確認。

次いで腐敗した教会内部を刷新禁書目録が作成され、宗教裁判が強化されました。


③イエズス会

この対抗宗教改革に活躍したのが、イエズス会でした。

ときは1534年。ちょうどイギリスが宗教改革を始めた年と同じです。

イエズス会はパリ大学の同志が設立した修道会で、初代総長イグナティウス=ロヨラを中心に、教皇への忠誠を誓った軍隊のような規律をもつ組織でした。

イエズス会はヨーロッパでの活動にとどまらず、アメリカ大陸やアジアなどへの布教にも励み、カトリック勢力を回復させていきます。

日本で有名なフランシスコ=ザビエルもイエズス会の一員で、ほかにも中国史で登場したマテオ=リッチも同じくメンバーの一人です。


終わりに

今回は、プロテスタントの広がりを食い止めるカトリックの様子をお伝えしました。

キーとなるイエズス会には、フランシスコ=ザビエルも所属していましたね。

次回はカトリック世界の擁護者を自任するスペイン王フェリペ2世のお話です。

お楽しみに!


参考文献


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