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【3分で読める世界史】名誉革命
前回は近世イギリスが「絶対王政⇒独裁政治⇒専制政治」と変化し、常に議会が君主と戦っている様子をお話させていただきました。
今回はついに議会の奮闘が実を結ぶ、名誉革命をお届けします。
①ホイッグ党とトーリ党
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専制政治を敷く国王(チャールズ2世)に、法の整備で対抗した議会。
しかし課題は続きました。
次期国王と目されていた王弟のジェームズ2世も、カトリックだったことが分かったのです。
ようやく公職からカトリックの国王派を一掃したのに「これではもとに戻ってしまう」。
議会は2つに分かれました。
王弟ジェームズの王位継承を認めないホイッグ党と、王位継承にまで踏み込むのはおかしいとするトーリ党の誕生です。
これは、のちの二大政党制の基礎となりました。
②議会の団結
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議会がひとつにまとまらないうちに、チャールズ2世が死去。
恐れていたジェームズ2世の王位継承が実現してしまいます。
案の定ジェームズ2世は、カトリック復活を目指し、プロテスタントを弾圧。
反対するものは逮捕と、ふたたび専制政治を始めました。
さらにジェームズ2世に長男が誕生。
カトリック支配がさらに続くことが予想されました。
こうなるとジェームズ2世の王位継承を認めていたトーリ党も、過ちに気づきます。
そしてホイッグ党と手を組んで、ジェームズ2世の廃位に向けて動き出しました。
③名誉革命
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団結した議会は、ジェームズ2世の長女メアリと、その夫であるオランダ総督ウィレムに助けを求めました。
長女メアリはカトリックではなく、イギリス国教徒として育てられていたのです。
2人はそれに応え、1万2000人もの軍隊を率いてイギリスに上陸しました。
ジェームズ2世はイギリス軍に撃退を命じましたが、軍は言うことを聞きません。
観念したジェームズ2世はフランスに亡命しました。
メアリとウィレムは、議会が提出した「王権より議会が優越する」とする権利の宣言を承認。
メアリ2世とウィリアム3世としてイギリス王に即位します。
議会は権利の宣言を法として権利の章典を制定。
議会の了承なしには、軍事・課税をはじめ、いかなる行為も行えないこととされました。
こうして、イギリスは立憲王政を確立。
この一連の革命は、血を流さず成しえたため、名誉革命と呼ばれています。
終わりに
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ついにイギリスに安息の日が訪れましたね。
絶対王政、独裁政治、専制政治を経て、立憲王政へ。
世界の模範となるイギリスの議会の勝利でした。
それでは、また次回!
参考文献
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