世界史質問箱:遊牧民の国家は、農耕民の国家とどう違う?(3-1-1.遊牧民の社会と国家)
遊牧民の国家は、農耕民の国家とどう違う?
これについては、白石典之さんの説明がわかりやすいので、引いておこう。
「来るものは拒まずという考えが昔からモンゴル高原にはあった。強いグループが現れると、自分たちもそのグループ名を呼称する。たとえば、紀元1〜2世紀頃のこと、中国北方の遊牧民集団の匈奴(きょうど)が没落して、新たに鮮卑(せんぴ)という遊牧民集団が台頭すると、それまで匈奴と名乗っていたグループが、たちまち鮮卑と自称するようになったという。寄らば大樹の陰といったところか。名乗られた方も、それを拒絶しない。受け入れる懐の深さを見せる。それがこの地の伝統のようだ。歴史上、支配者の出身グループが排他的に優位性を保ち、先祖から受け継いだ領地に固執する閉ざされた国家が多い中、モンゴル帝国は開かれていた。」
(出典:白石典之『モンゴル帝国の誕生―チンギス・カンの都を掘る』講談社、2017年、17頁)
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