見出し画像

歴史のことばNo.20 西平等『グローバル・ヘルス法―理念と歴史』名古屋大学出版会、2022年

この3年、国際保健協力については色々と読みあさる機会があったが、その集大成というか、総整理にふさわしい書籍だった。

おそらく初めに読むものとしては、偶然COVID-19の初期に刊行された下記がよい。

アジア(特に日本と中国)の果たした役割については下記。

むしろ、マラリア対策については、マラリア対策中心に国際保健協力の手法をたどった、下記所収の脇村氏論文を先に読んでおいたほうが、理解がすすみそうだ。





テクノロジーか社会改革か


さて、本書を踏まえてシンプルにいえば、国際保健協力には、「テクノロジーの力でなんとかする」ベクトルと、「社会改革を志向する」ベクトルの2つがある。

食糧供給をあげる対策をとったり、当該社会の貧困そのものをなくすことで健康を確保しようとするものが後者にあたる。
識字率を上げたり、食料供給を増やしたり、ジェンダー不平等を解消したりといった人間開発が大事だよねという理解は、今でこそ当たり前になっているが、冷戦下において「社会改革志向」のベクトルは、そのまま社会主義の浸透につながるおそれがあるとして、アメリカが懸念を抱いた事情がある


そこでアメリカは「テクノロジーの力」で、感染症対策をすすめようとする。そのほうが、社会主義的なイデオロギーが混入しにくいからだ。
アメリカがお得意のマラリア対策のルーツは、アメリカ南部やカリブ海まわりの蚊を、殺虫剤DDTで根絶しようとする政策にたどることができる。ロックフェラー財団など民間が主導したもので、熱帯エリアの開発に対応するためでもあった(つまり住民のためのマラリア対策ではなく、あくまで開発エンジニアや兵士がぶっ倒れないようにするためのもの!)。

最大の資金提供国であったアメリカのこうした意向は、WHOをも左右した。

せっかく1930年代に萌芽があった包括的・社会医学的な保健思想(たとえば1930年代にロックフェラー財団が実施した中国農村再建事業が代表例)は、こうして出鼻をくじかれることとなったのだ。


それが再び日の目をみるのは、新興独立国が国際新秩序を打ち出すようになる1970年代のこと。
1978年にアルマ・アタ宣言で打ち出された「プライマリ・ヘルス・ケア」の理念は、アメリカ中心の「テクノロジーでなんでも解決!」型の開発へのカウンターだった。


プライマリ・ヘルス・ケアのゆくえ


ただ、その後のプライマリ・ヘルス・ケアが、必ずしも包括的な保健プログラムに直結したわけではない。
ワクチン接種のように、有効性が実証されたテクノロジーを世界に普及させようとする「選択的プライマリ・ヘルス・ケア」が影響力を持つ展開となる(実際に天然痘は1980年に根絶が宣言されている)。

本書は、社会医学的な保健思想のほかに、人権を基盤とする保健思想(人権を守ることによる解決)が力をもってくることに着目する。リプロダクティブ・ヘルスはその代表例であるが、大きな後押しとなったのはHIV/エイズの感染拡大対策だった。


21世紀にかけての変化


ところが、20世紀末から21世紀にかけて、WHOをとりまく環境も急激に変化した。

投資のパラダイムで保健協力を担う世界銀行や、社会的ベンチャー・キャピタルとして振る舞う公私パートナーシップなど、20世紀末から21世紀にかけて中心的な役割を占めるようになる保健協力の担い手においては、特定の目的を実現するために、さまざまな出資者から集めた資金を、最も効率的な方法で使用するということが、いわば中核的な行動原理となるからである。〔…〕例えば「3億人の子どもたちにワクチンを接種することで、子どもの死亡率を10%引き下げ、500万人の子どもの命を救いました」という成果報告は、投資家に強く訴える力を持つ。他方で、保健インフラの整備や、社会制度の構築などのように、生活環境をたしかに向上させるけれども数値的な成果を示すことの難しい保健事業は、このような枠組みの下では選ばれにくい

太字は筆者による。316-317ページ

こうした動きに対し、社会的要因によって生じる不公正な経済制度や貧弱な社会制度を是正していこうとする動きも、21世紀初めからWHOのなかに生まれた。
これは「ユニヴァーサル・ヘルス・カヴァリッジ(UHC)」と呼ばれるもので、SDGsのなかにも入っている文言だ。
とはいえ、今回の新型コロナウイルスのパンデミックでも、社会的施策が伴わないままに、技術的な措置が導入される例は、数限りなくみられた。

では、「テクノロジーの力でなんとかする」ベクトルと、「社会改革を志向する」ベクトルのバランスを担保するものは何か?
西氏は「法」にこそ、「グローバル・ヘルス」を実現させる力があるとみる。

世界保健機関」の名称は、もともと中国代表が、単に主権国家間の保健協力のみならず、「国家として代表を送り込むことがでいない人々も含む、世界中の人々の健康の維持と向上に取り組むという期待」を込め、「国際(国連)保健機関」案を排して提案したものだという(114ページ)。

欧米諸国を中心とする叙述とはなっているが、「ヘルス」「グローバル・ヘルス」の思想的な背景の変遷を踏まえ、19世紀の国際防疫体制にはじまる国際保健協力の歴史をたどることのできる良書である。


関連書籍


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊