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”英語教育熱”が子どもにもたらす弊害とは
突然ですが”pithecanthrope”, “hydrocephalus”, “pyroclastic”, “anthropophagy”はそれぞれどんな意味だと思いますか?
これらの英単語は英語を母語とするイェール大学の大学教員や大学院生でもよほどの専門家でなければ理解が及ばないという専門的語彙です。
「こんなの分からない!」
と思われるかもしれませんが、実は私達日本人は専門家でなくともこの単語の意味がだいたい分かるのです!
この4つの単語は日本語に翻訳すると左から順に“猿人”、“水頭症”、“火砕流”、“食人”。
いかがでしょうか。日本語訳を見れば、「あぁ、なんだ」と思われたのではないでしょうか。
これが、“翻訳”の力。
実はこの、
「世界標準語の知識を母語として翻訳し、誰もが理解出来る言葉にする力(=母語を国語という学問として確立)」
が、日本や中世ヨーロッパを近代化へ発展させたカギだと言われています。
昨今、ますます、
「グローバル化することが進歩だ!グローバル化には英語が必要だ!」
と叫ばれ、日本語で学ぶことを軽視するような風潮が見受けられるような気がしています。
が、果たして本当にそうなのでしょうか。
日本のグローバル化、英語公用語化(英語に重きをおきすぎる偏った教育)に警鐘を鳴らし、
「英語化は日本を植民地化し、子どもの可能性を潰し、発展途上国にする」
とは、政治学者の施 光恒(せ てるひさ)氏。
施 光恒(せ てるひさ)氏よる著書
『英語化は愚民化~日本の国力が地に落ちる~』
は幼少期の子を育てる親世代、教育者、政治家の方はぜひとも一読することをオススメします。
日本の英語化=植民地化!?
「日本の英語化政策は自ら植民地化しているようなものだ」
という衝撃の発言から始まる本著。
施 光恒(せ てるひさ)氏は政治学者としての自身の研究からはもちろん、他学者からの研究結果や明治時代にも議論された英語公用語化論など、歴史の面からも日本の英語化に苦言を呈し、このまま英語が日本の公用語になると「日本は先進国ではなく、発展途上国になる」といいます。
その理由を8つにまとめると、
①中世ヨーロッパや明治維新の日本が近代化への道を辿ることができたのは、普遍語(世界標準語のようなもの。中世においてはラテン語)でしか得られなかった知識を土着語(その国の生活の中で使用されている言葉)に“翻訳“し、誰もが知識を得られるようにしたから。その歴史を顧みず、普遍語(現代では英語)を徹底させるのは、社会を中世へ退化させることである。
②英語化することで一部のエリートしか学べなくなるため、国民の知的格差が広がり、結果的に経済格差が更に広がる。また、母国語が同じだからこそ国民の統一意識があり国がまとまっていたが、英語化することで国民分断がおき、内紛が起きる可能性が高まる。
③母国語であれば開花した才能が、英語化による言語の壁に阻まれ、好きなことも深く学ぶことが出来なくなる=子どもの可能性、才能を潰すことになる。
④どんなに普遍語(現代では英語)の普及を限りなく成功させたとしても、日本は未来永劫英語国(英語ネイティブ)には勝てない。
⑤英語化によって、子どもたちが日本文化、日本人としての良さ、自信が破壊され、英語、及び英語を話す人や文化が世界で一番偉いと刷り込まれるようになる。
⑥言語はただのツール(道具)ではなく、使う人の自我のあり方(自己認識)や感性、道徳観にも影響を与えている。(日本語を話すから日本人としての良さ、アイデンティティが作られ、フランス語を話すからフランス人としての良さ、アイデンティティが確立されるということ)英語を話すようになれば、日本人としてのアイデンティティはなくなる。
⑦グローバル化・英語化に対する疑問はEU諸国でも上がっている。
⑧そもそも現代の英語化、グローバル化を国が進める理由は、一部のビジネスエリートや投資家をより裕福にすることをよしとする新自由主義的な発想のもとで推し進められており、子どもたちから質の高い教育を受ける機会を奪うことにも繋がる。
です。
どれもこれも、私にとっては納得するものばかりでした。
「英語公用語」のインターナショナルスクールは英語化後の日本の縮図!?
私はインターナショナルスクール2社(幼稚園部門)で約6年勤務していた経験があります。
インターナショナルスクール内の公用語は当然英語。
ただし、グローバル化=英語だ!と思う方が増えてきたこともあって、通っている子の9割以上は日本人です。
今思えば、現場はまさに、施 光恒(せ てるひさ)氏が危惧しているようなことが起きていました。
例えば、
・インターに合う子と合わない子では成長の差が激しく、英語が出来る、英語の指示が理解出来るというだけで先生達の評価が大きく違う。
・英語が出来なくとも、この子はすごい!と思う子はたくさんいたが、英語が出来ない、という理由だけで、“落ちこぼれ“認定されてしまう
などなど。
その度に、
「これでは子どもの可能性、才能は伸びるどころか潰されてしまう!」
「母語環境の幼稚園に通えば、才能が伸びるのに・・・」
と何度思ったことか。
母語であればすんなり簡単に出来ることが、「英語」という壁があることで簡単に行うことが出来なくなる。
そのためか、
インターへ通う子は総じて日本の幼稚園に通っている同年齢の子に比べ、言葉の面でも生活面でも幼い(特に、日本が優秀だとされている、「思いやり」「譲り合い」「人の気持ちを組む・把握する」という点など)という傾向が見受けられました。
現場を見た経験から言っても、日本の英語化が子どもの将来の活躍に繋がる!とはあまり思えませんでした。
また、施 光恒(せ てるひさ)氏が一番危惧しているのが「日本語、日本文化は劣っている」と子どもが思い込んでしまうのではないか、ということだそうです。
これにはとても共感しました。
日本人は元々自己肯定感(自分大好き!自信がある!など)が低いと言われています。
そのせいもあるのか、
・インターナショナルスクール=日本の教育より優秀
・インターナショナルスクールに通う=すごい!
・英語が話せる=すごい!
と盲目的に思い込んでしまっている親御さんが多い印象があります。
・自分が英語を話せないから子どもには・・・と言ってインターナショナルスクールに入れる
・インターナショナルスクールへ通わせることがステータスになってしまっている
・私自身、「インターナショナルスクールで働いていたなんてすごいね!英語話せるんだ!すごいね!」とさんざん言われてきた
ことからも、乳幼児期の子を持つ我々親世代が、いかに日本語、日本文化に対して自信がないのか、劣等感を感じているのか、がよく分かります。
親が日本語、日本文化に劣等感を感じていれば、もちろん子どもも
「日本語、日本文化は欧米よりも劣っている」
と感じるようになります。
そもそもスクール内では日本語を話すと怒られます。
もちろん、ドイツ語を話してもスウェーデン語を話してもスペイン語を話しても、怒られます。
母語を使うと怒られるということは、幼少期の子どもに“母語=悪いもの“という印象を植え付けかねません。
日本語、日本文化が英語、英語圏の文化に劣っていることなど、決してないのです。
もちろん、英語以外の言語、英語圏以外の文化が英語圏に劣っていることもありません。
東京インターナショナルスクールの理事長、坪谷ニュウエル郁子氏も、インタビューの中でこのように語っています。
「日本の教育はダメだとよくいわれますが、PISA(OECDによる学習到達度調査)の成績を見る限り、人口1億人以上の大国で、これだけの教育水準を保てているのは日本くらいです。
世界から羨望の眼差しで見られることも多い日本人の共生の精神も、日本の学校文化の中で育まれている部分が大きい。
むしろ日本の教育の良い点をもっと世界に広めていかなければいけません。
<中略>
『お客様』として海外の教育を受けたひとたちが、『アメリカでは……』などと誇張しすぎです。
私はアメリカの教育のひどさもよく知っています。
あれをまねしようだなんて、無責任な意見です。
日本の教育の唯一の問題点は、自己肯定感を下げてしまうことで、減点主義が原因の一つだと思います。
そこさえ補えればいい。」
※出典:『「インターナショナルスクール」理事長が“義務教育期間中は通わせるべきでない”と説く2つのワケ』
どんな世界でも愛され、活躍できる“真の国際人”とは
英語を学ぶことが悪い、というわけではありません。
しかし、今の日本はあまりにも英語教育に偏りすぎているのではないでしょうか。
本著を読むと、グローバル化=英語化=進歩ではない、ということがよく分かります。
英語化が進めば、これまで母語で学べていたものが学べなくなり、むしろ子どもの可能性、未来を奪うことにも繋がりかねないのです。
英語が話せるようになれば、世界で活躍できる!
英語が話せる=優秀!
というわけではありません。
無理に英語を母語と同じように使いこなせるようにと膨大な時間とお金を費やすよりも、その時間を使って、
・母語で母国の文化や歴史はもちろん、他国の文化や歴史、習慣などの教養を学ぶ
・自分の好きな学問・技術を深める
などをした方が、よほど世界で活躍できる人間性・知識が磨かれる可能性は高くなります。
幸いなことに、日本では母語である日本語で、上記のことができるのですから、それを利用しない手はないのではないでしょうか。
「グローバル社会。グローバル社会で活躍するためには英語が必要」
と言われても、日本人を捨てて欧米人になる必要はありません。
むしろ、多様性・多文化の溢れる社会の中では、
『日本人(日本人として誇りを持っていること)』
であることが、活躍できるカギになってくると考えています。
そして施 光恒(せ てるひさ)氏が本著でも述べているように、自国の言語・文化・やり方を強制するのではなく、相手の言語・文化・やり方を尊重することができる人が、どんな世界でも愛され活躍することのできる、“真の国際人”であり、これからの時代に目指すべき姿なのだと、せかいくでは考えています。