僕は僕が嫌いです本当に僕が嫌いです
あー、また誰かの影響受けちゃってるなあ。
どこの誰だか知らない人がお気に入りの作者の漫画を某フリマアプリで急いで買った。それであまりにも良かったからって某SNSに投稿。まるで自分がこの作品を見つけたみたいな感じで。ちなみに某SNSのことは馬鹿らしい、世間の流行りに乗っちゃって自分の生活曝して何が楽しいんだ、てめえの生活なんか興味ねえよ馬鹿。なーんて思ってたのに周りに流されて結局手を出してんだ。一番馬鹿なのは自分だろうが。気付けば世の中に絶望しているようなつまらない人間になっていた。大人になったって社畜になるかフリーターになるかの人生しか待っていないわけであって、死んだような顔をして、年寄りに反撃も出来なくて黙ってウンウン言ってやり過ごして生きていかないといけない。それがこの国の規則、破った奴は反乱分子、社会的に殺されるのが最後。それが普通なのかもしれないけど、許せない。何故仕事をするのかと言うと、所得税だの、ふんちゃら保険だの、家賃光熱費水道代だの、色々と定額的に腐った国に年貢のように収めないといけないからだ。何故生きているだけなのに金を払わないといけないのか。生きるためにクソみたいな国に金を払い続けるようなイヌになるぐらいなら死んだ方がマシだ。なーんて大層な考え方してる自分に酔ってる。あーあ、こんなはずじゃなかったのに、いつからこんなに人生を悲観するようになったのか、いつから綺麗事が信じられなくなったのか、いつからいい話が通用しなくなったのか、いつから恵まれてる人間に嫉妬深くなったのか、気付いたら嫌いな人間ばかり増えていた。そんな奴らのことなんて放っておけばいいのにどうもそれが出来ない。文句を言わないと居られなくなる。それで周りの友達を失う。いつだってその場の衝動的な感情に任せるのが原因で。最低最悪な性格なのは分かっている。でもこんな最低最悪な性格を誰かに認めて欲しいのだ。とんだ強欲者だ、死ねばいいのに。親はあんたとつるんでたあの子があんたを歪めたのよとか言うけどさ、あの子が歪めたとは思わない。誰も悪くない、ただ自分が勝手に作用と受けて人格が変形していっただけである。結局何が言いたいのかと言うと全部自分が悪いのだ。とか言ってるけど本当は自分が可愛くてしょうがない。通常は何を見ても感動しない淡々とした人間でいたいのに、自分のこととなると悔しくて涙脆くなって感情剥き出し。ただのめんどくさい人間に成り下がってしまう。こんな情緒の定まらない人間ならさっさと死んで腐った世界の砂塵になっちまった方がいい。だけど今が愛しくてたまらなくなる人間みたいな瞬間があるから死ねないし、死ぬのが怖い。どうせ死ねないくせに死にたいなんてほざいてる奴は死ぬほど嫌いだけどそれが自分だったりするから笑ってしまう。ついでに言うと最近好きになった癖に昔から好きだったみたいな風吹かす奴も大嫌いだけど、それも自分のことだったりする。(さっきから某某うるさいけど)某ハイトーンボイスバンドだって3年前に衝撃受けて好きになったばっかりのあっさい歴史の持ち主の癖に、昔のグッズとか初回限定盤の円盤買い漁って昔のファンの皮を被ろうとする。そういう他人をみて死ぬほど腹を立てたりもする。自分も同じことしてるくせにね。こんなに長々書いて結局何が言いたいのかと言うと死んで欲しいほど嫌いな人間は自分自身だったんだなあってこと。