「アルジャーノンに花束を」

「アルジャーノンに花束を」という作品を読んだ。
SNSでバズったことで、そのSNSのつぶやきが本の帯になっていた。
その出来事がとても印象的で、書店で手に取り、読むことにした。

バズっていたのは確かこれ↓

本は経過報告という形で主人公のチャーリィから見える世界の変遷が描かれていた。知能を向上させる手術を受けることで経過報告の書き方、感じたこと、考えていることが徐々に変化し、知能向上がわかりやすい文章だった。

知能が上がるにつれてチャーリィが気がついた、周りの人からの自分の見られ方、過去の家族との衝突の原因などの全てを悟り始めるところは自分という存在の世間からの見られ方が当時思っていたものと全く違うという悲しいシーンのように思った。

今この世界の世間一般にも、この主人公チャーリィのように知的障害を持って生きている人がいる。僕はその人たちにも等しく接することができているだろうか、と考えた。もちろん、ハンディがある分多少気遣いをした接し方をするべきだが、それ以外のところで何か見えない壁を作っているような気がする。

チャーリィの両親も、父親は愛情を持って育てようとしていた。しかし母親は世間からの視線に苦しみ、チャーリィを拒絶した。きっと世の中の人がチャーリィのような存在を受け入れることができていたら、母親は拒絶することもなかっただろうし、家族との関係性が崩れることもなかったように思う。僕たちは異常者をできるだけ排除したい。

これはチャーリィのような存在ではないにしても、起こりうることなのだろう。学校で起こるいじめもそれに近いような気がする。

浅い言葉にはなってしまうが、
多様性、という言葉がよく使われる今。
多種多様な人が生きるこの世界で、これから出会う一人一人の存在に対して、多様性とは何か、を考えながら接していきたいというのが今僕が考えられる受け取り方だった。



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つよし
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