昨日と今日と、それから明日。
フェリーの窓からは、それはそれは美しい水平線が見えた。窓から下を覗き込むと、ゴーという音と共にフェリーのボディが白いしぶきで海を切り裂いて進む様子がみてとれ、そして遠くに目をやると、そこに美しい水平線があるのだった。
雲の混じった白みがかった空と、少し鈍く黒みがかった海と。そのふたつは綺麗に世界をふたつに分かち、堂々とした様子で一面に広がっていた。
その日、ぼくはめずらしく普段よりも朝早く起きたので、少し足を伸ばして海の近くまでやってきていた。特に目的もなくプラプラと歩いていると、いつのまにか埠頭に迷い込んでいた。近くには大きめの建物とコンビニ。それからタクシーも何台か停まっていたが人はまばらだった。フェリー乗り場では釣り用具を肩に担いだおじさんたちがチケットを係の人に見せてフェリーに乗り込んでいく姿がみえた。マグネットで時刻を入れ替えるタイプの掲示板をよくよく見てみると、どうやらそのフェリーはちょうど十分後に出発するようだった。その瞬間、ぼくは「どれ、乗ってみるか」という気分になった。調べてみると行き先はそれほど遠くない小さな島のようだ。
ぼくは勇気をだして、チケットにスタンプを押している係の人に「これって普通の人でも乗れるんですか?」と尋ねてみた。
係の人は少し怪訝な表情を浮かべたが、すぐに「観光ですか? チケットはあちらでお願いします」とチケット売り場の方を指し示した。
ぼくは「あ、どうも」と軽く会釈をしてチケット売り場に向かった。
「普通の人ってなんだよ」と少し恥ずかしくなった自分にツッコミを入れつつ、ぼくは急いでチケットを購入して、そうして真っ黒に日焼けしたおじさんたちに混じって、手ぶらでフェリーに乗り込んだのだった。
フェリーにのって5分もたてば、陸地をあっという間に離れて、そして美しい水平線が目の前に広がっていた。ぼくは素直に綺麗だなぁと思い、そして空も海もどこまでも繋がってるんだよなぁ、と思いを馳せた。
やむを得ない都合で離れ離れになってしまったふたり。でも、寂しくなったときには空を見上げる。あの人も同じ空を見上げているんだろうか。そう思うと、寂しさはあれど、どこかぬくもりを感じるのだ。
病気がちで思うように学校に通えない子どもが友達ができなくて悩んでいた。ある日、綺麗な瓶に「友達になってください」とだけ書いた紙を入れて海に流す。そのことがきっかけで遠く離れた国の子と友達になり、ふたりの友情はかけがえのないものになっていく。
そんな壮大な妄想をしながら、ぼくはひとり、窓の外を眺めてニヤニヤとしていた。いろいろな妄想が頭をめぐり、最高のハッピーエンディングを迎えたところでぼくは、そういえば雨の境目ってどうなってるんだろう、とふと思った。
雨の降っているところがあれば、当然雨が降ってないところがある。つまり、ここは雨が降っているけど、2歩も歩けばそこは雨が降っていない、という状況があり得るのだろうか。それとも、ある程度グラデーションになっているものなのだろうか。
ぼくはまだそのような境目に出くわしたことはないが、もし幸運にもそのような場に出会えたら楽しいだろうな、と思った。反復横跳びをするみたいにぴょんぴょん跳ねて、こっちは雨、こっちは晴れ、という具合に。きっとそのときは黄色いレインコートをきて、お気に入りの長靴を履いているのだ。
水平線、それから雨の境目。
じゃあ、時間はどうなんだろう。
1日は24時間。1年は365日。
去年と今年、今年と来年。
昨日と今日と、それから明日。
12時を回れば今日が昨日になり、明日が今日になる。
なるほど、確かにそこに境目は存在する。
でも、シンデレラのお話のようにその瞬間に魔法がとけるわけでもあるまい。
昨日と今日と明日の境目は確かに存在するけど、それらはきっと全て繋がってるんだろう。
去年の今日に何を食べたかは覚えてないけど、去年の今日に感じたことはきっと今に繋がっている。
今日フェリーにのったことは忘れてしまうかもしれないけど、水平線を美しいと感じたことはきっとこれから繋がっていく。
年越しのときなんかは、新年の目標を立てたりしてなんだか違う人間になったような気がすることもあるけど、それでもやっぱり繋がってる。
あの日の喜びがあるから今があって、あの日の悔しさがあるから今がある。
昨日は今日に、今日は明日に繋がってる。
繋がってる。そうか、繋がってるんだ。
ぼくは遠い場所で同じ空を見上げる誰かと、それから遠い場所でまだ出会う前の友人のことを思い浮かべて、なんだか胸があつくなった。
フェリーは30分ほどかけて近くの島に到着した。ぞろぞろと降りていく人たちの流れを乱さないようにぼくも下船する。係の人にチケットを渡し、ぼくは島に降り立った。
知らない場所というのはそれだけでワクワクするものだ。
勢いで来てしまったけど、これからどうしようか。
少しふわふわした気持ちでぼくは歩き出そうとした。でもすぐに大事なことを思い出して、さっきチケットを渡した係の人のもとにもどって声をかけた。
「あ、すみません。これって帰りの便って……」
ぼくがそこまで言うと、係の人が遮るように言葉を発した。
「ああ、あそこに貼ってあるから。あれ、みて!」
係の人が指し示した10メートルほど先には、小さなプレハブ小屋のような建物があり、どうやら簡易的なフェリーの待合所になっているようだった。そしてなるほど、その入り口には白い紙が何枚もぺたぺたと貼り付けてあるようだった。
「あ、ありがとうございます」
ぼくがそう返事をして、帰りの便の時間を確認するために待合所に向かおうとすると、後ろから係の人の声が飛んできた。
「時間になったらすぐ出るから! ちょっとでも遅れたら乗れないからね!」
ぼくは半分振り向いて、それから会釈をして待合所にむかった。
「ちょっとでも遅れたら乗れないからね!」
この言葉でぼくはなぜか大学生の頃のことを思い出した。
大学の課題提出はもっぱらネット上でしなければならず、その提出期限はその期限日の23時59分に設定されていた。
つまり、期限を1分、いや1秒でも遅れたら、その課題はシステムにはじかれて提出することすら叶わないのだ。ぼくはなんでもギリギリにやってしまうふしがあるので、このシステムには何度も泣かされたものだ。
そうか、あれは今思えば魔法にも似てるな。さしずめぼくはシンデレラで課題提出の夢をみていたのだ。しかし12時を回ると魔法はとけて、ぼくはそれが幻だったことに気づくのだ。
そんな馬鹿なことを思い、なぜか妙に納得して、そしてそんな自分に気づいて、ぼくは思わず苦笑いをした。
天気は晴れだ。首に照りつける日差しは少し暑いが、心地よい風が吹いている。
降り立った島は徒歩でも問題なく一周できるほどの大きさのようだった。帰りの便も何本かあって、絶対に次の便に乗らないといけないってわけでもないようだ。
時間もたっぷりある。どこに行ってもいいし、何をしてもいい。
のんびりしてもいいし、走ってみてもいい。
右をみても、左をみても、知らない場所。
空があって山があって海がある。
さて、どこに行こうか。
ぼくは行くあてのない一歩を踏み出した。
きっと繋がっていく、あてのない一歩を。
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