私の弔いの原点
すうっと一つ、大きく息をして心臓が止まった。
あの、頭が真っ白になる瞬間を今も鮮明に思い出す。
何かにぶつかったわけでもないのにドンっと衝撃が自分の中におこり、心を通り越して魂が痛い。
半身をもっていかれる。という表現がしっくりくる感じたことのない痛み。
長い闘病生活で足の角質がむけた赤ちゃんみたいに柔らかい足をさすりながら、どうか生きてと願う気持ちと、潰れた肺で懸命に呼吸する意識不明の状態から解放されてと思う気持ちと。
相反する想いが自分の中に渦巻いて、何を祈ればいいのかもわからずじっと身体を丸めて足をさすることしかできなかった。
誰にも認められなかった私に「お前はお前のままでいい。娘のようなもの。」そう言って、怒鳴られたり殴られた後泣きじゃくる私の手を引いて、いつも駄菓子屋さんにアイスクリームや肉まんを買いに連れて行ってくれた。
生きていることが辛くて、どこにもいたくない私を暖かく迎えてくれて、私のために洋服棚を設け、高校に行く時はお弁当をにこにこと作ってくれた。夜遅く、最寄駅に着いたらいつも迎えに来てくれいた。
あなたがいたから、私は、私を大切にしてくれる人がこの世にいると思えた。
そんなあなたの心臓が止まった。
うちに帰りたい。
愛犬に会いたい。
ディズニーランドに行きたい。
病室でそうやって生きることを望んだあなたが、モルヒネで前後不覚になって幻を見ながら話した時に少し覚悟はできたはずなのに。
こんな残酷な、理不尽なことがこの世にあるのかと呆然としたまま時間が過ぎた。
あの日の前後の記憶がない。
同じように慈しまれた私たちは言葉もなく寄り添いあって泣いていた。
たぶん今も心のどこかで泣いている。
あなたのいない日々を受けいれることもなく、いないという事実をうまく捉えられないまま。
駅の改札口を出た時。
台所を何気なく見た時。
スーパーに買い出しに行った時。
そこここにあなたの幻を今も見る。
そんな事を思うのは命日が近いからだろう。
会いたくなると仏壇とお墓に手を合わせる。
娘が生まれたよ。
東京にいってくるね。
娘が10歳になったよ。
報告する度に、笑うだろうな、残念がるだろうな、喜ぶだろうな。あなたの反応を想う。
あなたが生きていたらきっと、私も笑顔が増えただろう。
だけどいつまでもめそめそしていたら優しいあなたがあの世から心配してしまうのもわかるから。
頑張って生きたねと。あなたより老いた私がそちらに行ったらそう言ってくれるような道を歩んでいたい。
私にとって死者になったあなたとの対話は、あなたがいたから私がいると感じること。
育ててもらったこの命で、人が人を送る弔いの場で懸命に働き、貴方に胸を晴れるような人生を送って道半ばで死ねたら本望だと思う。
魂を送る。人にしかできない文化を大切にしたい。だから私は今の仕事を生涯の仕事にした。
私の弔いの原点はここにある。