はじまりと幸せの総量
誰もが発信できる時代に、「言葉の重さ」が相対的に軽くなってる中で自分は何を誰に伝えたいんだろう。
そんなことをぼやーっと考えていたら3年以上経ってしまった。。。
で、今書いてるのは
何を
自分の頭で考えたことを
誰になんのために
未来の自分が悩んだときのヒントになるために
と決めて書き始める。と決めたから。
今、新しいサービスの立ち上げ時期で自分の力不足で苦しい半年が続いている中で頭をちらつくのは「幸せの総量」という言葉。
なんのために私は仕事を、会社を、サービスをするのか。
それは、「社会の幸せの総量」を増やしたいから。視点をかえると「生きにくい人を減らしたい」から。
極論、人は自分の幸福度を高めたい欲を満たすためにいきていると思っている自分としては何を「幸せ」とするのかで社会の質が決まると思っている。
私のイメージする幸せは、「よりたくさんの笑い声が聞こえる状態」。
年齢や、価値観や、人種を超えて、「喜びを分かち合あえる機会」を増やすことで幸せの質が高まり、「幸せの総量」が増えて世の中が生きやすくなっていく。
そのために、どんなに前人未到でも、無謀でもチャレンジし続けること。それでこそ生きてる価値を感じられる。まぁ、強欲なんだろうなあ。
でも、それがモチベーションがあるから潰れずに進めるのかも。
そして、これからもたぶんそれは変わらない。