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終活への違和感

私が葬儀・お墓の相談員として

  • 身内が亡くなりそうだ

  • 身内が亡くなった

  • 遺骨が手元にある

  • お墓を引っ越したい

といったお悩みを受けて、葬儀社、石材店、寺院、法要施設を紹介する事業部に関わり始めたのは2010年のこと。

終活という言葉は、2009年に週刊朝日の特集で使われたのをきっかけに広まった。とされているので、この言葉の誕生とほぼ同時期にあたる。

日々、自分や大切な人の「死」と向き合って、不安や焦燥、悲しみや嘆きを抱えながら喪主になった人と向き合っていた当時の私はこの「終活」という言葉になにか得体の知れない、違和感を感じた。

以来、その違和感を抱えたまま、今はお寺を軸に仕事をしている。

そもそも、人は死に向かって生きている。

いつどんな場所でどのように死ぬのか?なんて誰にも分からないのが死でもある。

にも関わらず、自分の人生の終焉に向かって、あれこれと準備し、「迷惑をかけないためのマナー」として整えておくのが理想である。

といったような圧力さえ感じる風潮をマーケット側が作り出し、今では「シニアマーケティングの勝機は終活にあり!」などと異業種が参入したり、老舗の供養企業がその異業種をコンサルティングして、増長するような流れすらある。

すっかり葬儀やお墓が産業化した様には、「ひとりの死を弔う」という核を取り除いた伽藍堂にすら見えて異様だ。

脱走した葬儀


私の身内で驚くほど迷惑をかけて死んでいった人がいる。

その人の通夜は出たが涙は出なかった。

むしろ、親族として葬儀式場に立っていることすら嫌気がさして当時未成年だった私は葬儀を途中で脱走したほどだ。

その人がどのくらい迷惑をかけたかというと、関係者が生きているので細かくは言えないが私たち家族から家や、お金や、健康や、親戚や地域との関係性といったおよそ生きていくうえで必要なものをほぼすべて奪った。

その人が突然の病で、あっけなく亡くなった。

地域の人は村のみんなに手伝ってもらって自宅で葬儀を行ったり、公民館で葬儀をするのが当たり前なのに、それすら叶わず、ひっそりと火葬場近くの葬儀社の葬儀ホールで葬儀を行った。

生きているときも、亡くなったときも大変な迷惑事を残して死んでいった。

それでも、私の両親はその人を弔った。

泣きはらした葬儀


私が遺族として送った人がもう1人いる。

幼少期から思春期まで、生き方がわからなかった私が生きてこれたのはその人のおかげだと言いきれるほど、愛情をくれた人だった。

気がつけば末期がんで、私が二十歳の時に亡くなった。

心臓が止まるまで。遺体になってから、自宅に戻って来た時。会いたがっていた愛犬を抱っこして対面させた時。父があの人が好きだった酒をもってきて遺体の傍らで泣きながら飲んでいた時。死化粧をみんなでした時。お気に入りの服を被せた時。納棺された時。公民館で葬儀が始まった時。棺を閉める時。出棺の時。火葬場までのマイクロバスに乗っていた時。火葬場の煙突から煙が出たとき。荼毘に付されて、遺骨になった時。

どのシーンも私は泣いていた。涙がぬぐってもぬぐっても溢れてきて、葬儀の後の数日はどう過ごしたのか正直記憶がない。

そして今も乗り越えたのかと言われると、あの人を想うと今も涙が出るし、思い出の場所に行くとそこにまだいるような気配を感じて涙が出るので自信がない。

真逆の葬儀の共通点

私の葬儀の遺族としての体験はこの真逆の2つの葬儀だ。

およそ共通点がなさそうだが、3つあった。

1つ目は菩提寺、つまり檀家になっているお寺があったこと。

菩提寺の僧侶に導師を依頼することは既定路線で、仏式で行うことだけが何も準備せずとも決まっていた。

2つ目は火葬場。

市民が安く使える自治体の火葬場を使用するのは、費用面からも自宅からの移動距離からも合理的なのでこれも決まっていた。

3つ目は亡くなった後の準備を何もしていなかったこと。

突然死と死んでほしくない人の病死。いずれも準備をすることはできなかった。

宗教者と火葬場(地元の言葉でいうと焼き場)は決まっていたので、それを軸に脱走した葬儀は地元で葬儀ができないので、火葬場近くのホールがある葬儀社を選び、泣きはらした葬儀では公民館で村が提携している葬儀社に依頼した。

お墓はそれぞれすでにあったので納骨先も決まっていた。

相続や遺品整理は脱走した葬儀はそれはもう両親は大変だった。

泣きはらした葬儀はすんなりといった。

終活は必要か

「迷惑をかけたくないから終活を」とよく言われる。

ひとりの死を周囲が受け止められない状況(喪主がいない、お金がない、大金の借金など残された人にとって大きなマイナスになるなど)の人や家族は確かにそれなりに、終末期におかれた場合の整理や断捨離、段取りが必要だと思う。

一方でそうではない人まで「迷惑をかけたくないから終活を」に同調しているのは一体どういうことなんだろう。

耐えられないほど、私でいうと脱走した葬儀の故人とのような辛い関係性にある家族なのだろうか。

そうではない、そこそこ喧嘩もするがそこそこ仲も良い家族にとって、身内の死に起因することに時間や労力を割くことは迷惑だと本当にみんな思っているのだろうか。

前述した経験が背景にありつつ、冒頭に記載したように私は喪主になった人の葬儀・お墓の相談を多いときは1日10件以上受けて、20代を過ごした。

ちゃんと準備ができていない方がほとんどで当たり前。という状況で支援していたが、喪主になった方々の多くは、総じて一生懸命だった。

亡くなった人のため、遺族のため、縁あった人のため。

冷静に喪主になる可能性を受け入れて事前相談を希望される方や亡くなった直後に相談をくださった方。

故人との関係性や経済状況は人それぞれだったが、ひとりの死を目の前にして、喪主になり、どうしていいかわかないから、葬儀社や石材店、寺院を紹介してくれる私達に相談が集まっていた。

段取りができていなければいないなりに、ちゃんとしたプロの葬儀社が支えてくれれば、葬儀を終えることはできる。

また、葬儀の準備をするといっても宗教者や火葬場が決まっているだけでもかなりスムーズに葬儀自体は執り行うことができる経験をしてきた身からすると、事前に決めておくことなんて葬儀社と宗教者と火葬場だけで十分だとすら思う。

葬儀の現場に挨拶に伺った際や葬儀後に、握手をもとめてくださった方、泣きながら電話をくださった方、手紙を送ってくださった方、長文のメールをくださった方がいた。

みなさん異口同音に「無事に良い葬儀社さんや僧侶に出会えて、良い葬儀ができてよかった。故人が喜んでいることと思う。あなたに相談してよかった。」といったことをおっしゃってくださる。

自分が楽だったとか、立派に喪主を務めたといったことではなく、「故人に喜んでもらえる葬儀だったと思えた」ことが喪主の方々にとっての「良い葬儀」であると実感する度に私は弔うことの奥深さを感じていた。

死からも弔いの文化からも遠ざかりつつある現代日本の中にあっても、大切な人を想う心と大切な人を失った悲しみを受け止める器として、葬儀が機能したからこそいただける感想であり、やはり私たちは「ひとりの死」を迎えた時、弔う空間を求めているのだと肌で感じてきた。

つまり、「終活」によって何もかも自分で準備し、指示書のようなエンディングノートを残したところで、残された側にしてみれば、大切な人を失った時、弔いの過程で死を受け入れるためにも亡き人を想って行動することですこしずつ死を受け止めることにつながっていくのに、その思考チャンスや行為を奪われることになりかねない。

弔いの場で「人はいつか死ぬ」ことを体感し、生きることの意味を問う循環が生まれると私は考えている。

死生観が理屈ではなく、体験として一人一人に根付いていくということ。

死を想い、自分に向き合い、人に向き合い、支えあっていく「ありがとう、おたがいさま、おかげさま」といった生きやすい社会に必要な心も育っていくのではないかと思っている。

「いのち」は支配できない

ここまで「終活」について批判的に書いてきたが、死を想って考え、行動すること、大切な人と話し合う、供養業界の心ある葬儀者や石材店の担当者、僧侶などの宗教者に相談する。といった行為自体は否定しないし、むしろもっと死にまつわる対話を今の社会はしていくべきだと思っている。

しかし、今のマーケット主導の「終活」にはそういった死生観の形成や人間同士の心の通わせといった弔いにおいての最重要部分がすこんと抜け落ち、葬儀を価格比較重視のプランにしたり、僧侶とお布施を商品化したり、お墓を不動産のように価格や立地面で比較させたり。

文化と感性の領域に厳然と存在しなければいけない弔い行為を消費行動の流れに乗せ、「故人を弔う」といった核を充実させることよりも、わかりやすく、簡単に、シンプルに消費させる流れに私は恐怖している。

終活によって己の死、いのちすらコントロールできるかのようなふるまいを推奨する流れは、あまりにも傲慢で、能力主義・自己責任から生まれた格差や閉塞感に苦しむ現代人に必要とされている謙虚さや相互精神とは真逆の世界観だと思うからだ。

当たり前だが、人間は1人である日突然生まれ、勝手に育ち、1人で死んでいくことなどできない。

先祖や両親にあたる人の人生の先に奇跡的に生まれて、目も見えない歩けない状態からでも育つだけの栄養や医療を受け、識字能力・計算能力など生きていくうえで必要な教育を受けて、社会に出る。

その過程で1度も誰の手も借りず、周囲が迷惑と感じる行為をせずに生きてきた人などいないだろう。つまり、私たちは迷惑をかけずに生きることなどできない。

今は、泣いている赤ちゃんと困っている母親や駅でうずくまっている学生、ゆったり歩く高齢者に舌打ちが起こることすらある社会だ。

迷惑と捉える範囲がどんどん広がって、能力があって健康で、品行方正な人しか許されない、息もできないような社会にしてしまって、そのどれか1つでも欠けた途端に自分が保てなくなるような生き方を本当にみんな望んでいるのだろうか。少なくとも私はまっぴらごめんだ。

誰しもが、人に迷惑をかけたりかけられたりしながら生きていいくのが健全な社会だし、そのためには謙虚で寛容な精神が必要だと私は思っている。

他人の子供が泣いていたら、学生が辛そうに駅でうずくまっていたら、高齢者が歩くのが遅くて道を塞いでいたら、冷めた目を向けたり舌打ちではなく、声をかけたり手を貸すことが当たり前にできる社会であってこそ、子供を生むことも成長することも老いることも怖くない社会になるはず。

私は自分の子供にそういう社会で生きていってほしいと願っている。

その願いとは裏腹に、自分が一生涯過ごすと決めた業界で「死ぬ時も迷惑をかけてはいけないから終活」という風潮が生まれ、増殖していく。

死ぬことはすべての人に訪れるのに、その時も迷惑をかけないために生きていくべきなんて、自己責任論が極まったような冷たい社会で、生きることに感謝したり、喜びを見いだせるんだろうか。

更に、消費行動の流れを加速させた結果、低価格競争に拍車がかかり、弔いの空間がどんどん簡素化・劣化している。

業界が日本人から徐々に弔いの価値を見えにくくしてしまったことで、業界全体の衰退も加速させている。

長い目で見て、誰が幸せになっているのだろうかすら思う。

弔いはお寺と僧侶が要

この流れを止めることはできなくても、なんとか内側から変えていくことはできないのかと2010年から思考し続け、行動してきた。

その要はやはり僧侶と寺なのだと思う。

弔いを消費ではなく、人間活動において必要な行為として人々に伝え、体験してもらうには仏教という大きな物語の中、あの世とこの世、人と街の中間地点にある僧侶と寺にしかできない。

経済原理主義から逸脱できる存在であり、死生観を説得力をもって伝導できるのは彼ら宗教者と仏教と地域が交わる時間を空間に蓄積してきた寺そのものなのだと私は確信している。

これからの弔い

今、改めて私たちは弔い方を見直す必要がある。

なぜ葬儀は2日間で終えないといけないのか、なぜ喪主は主体性を持てないのか。もっと遺族や縁者が参加できる方法はないのか。読経や戒名は本当にただお金がかかるだけのものなのか。

先日、尼崎の西正寺で開催された「そろそろこれからの葬儀の話をしよう」はその視点で登壇したところ、参加者のみなさんが閉式の後も残ってくださり、話が尽きなかった。機会を作ってくださった中平さんに感謝。

こんな話、なかなかできないから。

と若い方から年配までいろんな立場の方の視点を巻き込みながら対話して見えてきたのは、やはりみんな今の弔いに違和感を感じているがどうしていいか分からない。ということだった。

今のあたりまえを一度、0に戻して僧侶と葬儀社と喪主で話し合い、考えて、弔いを軸にした現代の葬儀を構築し直せたなら、今までの慌ただしく過ぎ去る葬儀の場を変えていくこともできる。

実際、僧侶と葬儀社が故人と喪主のためになにができるか?を、考えて作り出した葬儀は喪主や遺族はもちろんのこと僧侶や葬儀社も弔いの場として成立した手応えを感じている場面を幾度も見た。

弔いの場として葬儀を成立させるためには結局のところ、僧侶の宗教観と人間性が重要なのだろうと思う。

僧侶自身が仏教を信じるに足りる体験や確信を持ち、人と人として縁ある人と向き合い、対話することができなければ、弔いの場は変わらないまま悪化していく。

では、僧侶の宗教観と人間性はどのようにして育つのか。

そこを私は、寺院支援をしながら観察し、同志といっても過言ではない同じ感性を持つ僧侶のみなさんや心ある葬儀社さんはじめとした業界の方々と意見交換をしながら自分にできることを研磨し、模索している。

その1つが私が企画開発している「ありがとう」と言われるお寺を増やすために推進している「クラウド管理寺務台帳」であり、「檀信徒カルテ」だ。

内側からお寺を支援し、お寺と檀信徒、地域との関わり方を見直すことで、僧侶としての見つめ直しにつながることを願って活動している。

弔いの文化と精神を次世代に繋いでいくことを本願としている民間の人間として、「終活への違和感」と向き合いながらこれからも思考を深め、行動を起こしていきたい。


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