2023/10/20「碑文谷 創さんのお話を聞く葬送次世代の会in関西~次世代に心ある弔いを繋げるためには?~」を開催しての所感
実行委員会として開催した上記の企画が無事終了。
Facebook投稿のために書いた文章。思うように言葉になったのでnoteにもバックアップがてら記載しておく。
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昨日、大阪は大蓮寺で「碑文谷 創さんのお話を聞く葬送次世代の会in関西~次世代に心ある弔いを繋げるためには?~」と題した企画を開催。
無事に終えてほっとしつつ、昨日の会場の熱気が凄まじくてまだ余韻が残っている。
講座の中身についてはまた別途まとめる予定なので、感無量の今の気持ちをまとめておきたい。
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碑文谷創さんは私にとって葬送についてわからなくなったときに立ち返る原点。
21歳でこの業界に入ってすぐ、終活という言葉を皮切りに産業化が加速した。
葬儀やお墓に立ちすくむ喪主をサポートしていた私はお金儲け主義に搾取されつつある文化としての葬送のあり方にずっと腹の底で怒っていた。
人の生死に関わり、死者を悼むことに関わって仕事をし、生活をしている人間ならば人の命が失われた事実に誠実であらねばならないと思うから。
人の死を悼まない社会は怖い。命の尊さを忘れていることと同義。生きてる人のことも尊ばなくなる。
でも1人でできることなど知れていて常に歯痒さを感じて心細さや無力さに打ちのめされそうになる時も多々。
そんな時、必ず碑文谷さんの書かれたものやブログを拝読しては自分の想いがぶれないように葬送の原点に触れ、私淑するような想いで救われてきた。
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碑文谷さんと数年前に対面させていただき当たり前だけど、私などよりも遥かに広く長い目で葬送を見つめ、怒っている言葉と想いに感動した。
それ以降よくしていただき、多くの情報や書物をたくさんくださってその膨大な知恵と高い視座に益々尊敬の念を抱いた。
お酒をご一緒した時ふと、「こんなに大事な話を私だけが聞いていいのか?」と思った。
ある一定の私が尊敬している先輩たちはみんな当然碑文谷さんを知っていて仲も良い。
だけど、その中に私世代がいないことに気がついたからだ。
私世代の葬送に関わる人間にとって現実は厳しい。ものすごいスピードで人口構造も経済状況も価値観も変わる中、振り回されている人もたくさんいる。
流行りのビジネス用語や甘い話に騙され、文化としての葬送価値を無邪気に劣化させている人もいる。
葬送の表層を舐めているだけのような仕事や発言をする人はいかに葬送でお金を稼ぐか?を考えることには熱心でメディアやネットを使った見せ方が上手く、媒介を通して生活者に見える葬送は「結局はお金」となっていく。
人の命を尊ぶための葬送を支える人はいるはずなのにそれぞれのやり方で点となり、輪にならない。
だからこそ、私がそうしてきたようにみんなで葬送の原点である碑文谷さんの話が聞きたかった。
宗教者も葬儀社も私たちのような第三者も。
遺族(血縁に限らず)が故人をあの世へ送り出す際の伴走者であることをお互いに確認して、心ある弔いを行うことを積み上げていきたい。
そんな誠実な一つ一つの葬儀が葬送文化を支える土台になっていくはず。
そう、祈るような気持ちでいたところ、大蓮寺の秋田さんのお声がけを得て今回の会を開催できて本当にありがたかった。
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21歳でこの業界に入って最初に出会った菩提寺以外のお寺が大蓮寺と應典院であり、秋田さんだった。
出会によって得た学びや縁は今の私を成り立たせている欠かせない要素で、そんな縁深い場所に碑文谷さんにお越しいただき、司会兼聞き手として参加者のみなさんと丸一日時間を過ごせたこと。
その秋田さんを師とするいつもお世話になってる沖田さん、若い頃からずっと協働してる相続手続支援センター関西の長井さん、そして先日noteにも書いた西正寺の中平さんと実行委員会を立ち上げて想いを1つに開催できたこと。
これからの弔いについて普段議論している葬儀社さんやお坊さんがわざわざ東京、長野からもきてくださったこと。
師匠やお兄さんたちに見守ってもらえたこと。
そんなみんなの縁が結ばれたこと。
碑文谷さんが「気持ち良い時間を過ごせた」とおっしゃってくださったこと。
書ききれないくらい幸福に思うことがたくさんあった。
そして、濃厚な碑文谷さんのお話を聞いて数々の学びや発想を得た今、学んで終わらせず、実践し、日本全国のお寺の支援を通して心ある葬送を紡いでいきたい。
全てのご縁に感謝。
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