瞑想中に聞こえる声なんてどうでもいい
いつもありがとうございます、田端です
さて、私は、二十字真言を唱えたり、静心静坐を行うように何度も言っていますが、別に何か、体感的なことを感じてほしくて言っているわけではありません。
確かに二十字真言を唱えれば、感応的なこともあることもあります。
静心静坐をやって慣れてくれば、だんだん体の感覚はなくなっていきます。
私は正宗静坐を行っているときは、身体の感覚はありません。
静坐中に体を触られると電気が走ったようにびりびりします
ただ、本質というか、重要なことはそこではない、のですね。
体感覚だけ追い求めるとろくなことになりません。
幽体離脱とかしたところでなんの意味もありません。
また静坐をすれば臨時収入が入ってきたり、二十字真言を唱えれば、周りから急に親切にされたりそういったいわゆる「いいこと」が起こったりすることもあるかもしれませんが、そこは全く本質ではありません。
また瞑想中に声が聞こえてくるとか、ハイヤーセルフの声を聴いたことがある、あなたもハイヤーセルフの声を聴くことができる、といったことを喧伝している人もいますがホント意味がないですよね。
瞑想中に聞こえてくる声なんて言うのは作業中に鼻歌を歌ってるとたいして変わりません。
軽い変性意識に入ってるのは間違いないのですが、「だからなに?」という感じです
鼻歌を歌っている人も軽い変性意識になっているわけです。
では何故私が静坐をやったり、二十字真言を唱えてください、と言っているのかといえば「正気が培養されるから」です。
正気といってもなかなかどういったものか?わからないと思いますので、それを理解いただくために二十字真言を唱えてください、と言っているのです
これは実際にやってみていただかないと理解できないたぶん人類史上、これを理解していた人はほとんどいません。
正気を培養して行くことの尊さに比べれば瞑想中に聞こえてくる声なんてのはホントどうでもいいです。
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