見出し画像

周山街道をゆく chapter2-8 鳥居本


この見出し画像は大文字送り火で最後に点灯するのが⛩️鳥居形である。京都中心部から離れて見えるので他の四山に比べ影は薄い。この鳥居形の経緯に諸説あるが、愛宕神社一の鳥居を模しているとも言われている。

→cappter2-7 愛宕詣

僕のもう一つの家業が、あるホテル内で観光客向けに工芸土産物店を営んでいた。さまざまな京土産の中で今でもはっきり覚えているのがこの『紅葉の一の鳥居と鮎茶屋平野屋』の絵はがきである。数多ある京都らしい絵はがきの中でも真っ赤なもみじと一の鳥居と檜皮葺きの鮎茶屋平野屋を正面に据えて撮るのが僕は最高のアングルだと思っている。これほど映えるものは他にないだろう。この一の鳥居を何度も訪れているが、有名過ぎてよほど朝早くでないと人を入れずして撮ることは難しい。ましてや紅葉🍁シーズンにもなれば尚さらである。

鮎茶屋平野屋と一の鳥居


今のようにスマホで写真を撮ってその場でSNSにupする現代から見て実にのんびりしていた時代であった。僕は旅先のホテルでよく絵はがきを買い、その時の気分を絵はがきに認め(したため)親しい友人に送ったものだ。当時、手帳の後ろに住所録なるものが付属しており、旅行に出掛ける時は必ずといって持参していた。土産店にはご当地絵はがきが売っており、それを土産として買ったり、集めたりしていた。好き放題にバンバン撮影できるデジタルカメラと違ってフイルムカメラはフイルム代・焼き増し現像代もそれなりに費用が掛かり、それを気にしなければならず、シャッターを押すときも慎重にならざるえなかった。何より本当にうまく撮れたかどうかは現像してみないとわからなかった。その点プロが撮った写真やイラストの絵はがきはイメージしやすくすぐに使える無難な旅便りであった。

今日、絵はがきの需要も限りなく低調だ。現在この『一の鳥居と鮎茶屋平野屋』の絵はがきも土産物屋から消えた。Amazonなどに京都の絵はがきの出品はあるもののこの絵はがきはその中には入っていない。

鮎茶屋平野屋と一の鳥居


一の鳥居の前で迷い込んだ他県の車が立ち往生し、タクシーの運転手に注意されていた。どうやら狭いハイキングコースに入り込み、戻る傍ら保津峡方面から侵入してきたらしく、鳥居から南行は休日侵入禁止である。旧愛宕街道は清水坂と同様、事実上の歩行者天国である。その車の運転手は多くの歩行観光客の通行を妨げ、『こんな所に入って来るなよ』という軽蔑の視線を浴び、冷や汗をかきながら狭い道を何回か切り返し、僕が歩いて来た愛宕寺方面に逃げるように走って行った。人・人・人の京都観光の実情を知らないのか?観光地にマイカーで侵入して来ること事態、間違っていると思う。

一の鳥居前の分かれ道

⬅️左→六丁峠・保津峡・水尾方面、➡️右→清滝方面
青紅葉と一の鳥居
鮎茶屋平野屋

この日は鳥居横の平野屋さんの調理場にいるワンちゃんを見掛けなかった。
鮎の宿つたやと一の鳥居


鮎の宿

僕は奥嵯峨巡り(旧愛宕街道)を大勢の外国人観光客に混じって歩いた。

旧愛宕街道は嵐山・高雄パークウエイの下を潜る
(chapter2で高雄清滝パークウエイと記載していたが、記憶違いであり訂正した)

下から見上げると高架橋はこの嵯峨鳥居本重要伝統的建造物保存地区の景観に不釣合いであり、撤去してほしいほどに不細工である。

なぜこのような道路ができたかというとマイカー時代(motorization)の夜明けに遡る。休日は彼女とドライブを楽しみたい、マイカーを所有したいために働く、そんな活気に満ち溢れた時代だった。景色の良いところには多くのドライブウエイが造られた。その一つが嵐山・高雄パークウエイである(1965年開通)。

今の若い男性は車よりスマホゲームに興味を抱くと聞く。僕が若い頃は車の本をよく立ち読みしていた。ターボエンジンとかスタイリッシュなボディとかそんなものに憧れた。僕はドライブ、とりわけヘアピンカーブが大好きだった。エンジンブレーキだけでカーブを曲がり、吹かし抜きさることに快感を覚えた。このパークウエイも何度も走った。地球環境保全が叫ばれている今日、今思えばオイル資源のたいへんな無駄使いをしていたと思う。景観や環境重視の観点から見れば不要とさえ思えるが、そうした時代背景にできた構築物である。

僕は半世紀余り前のドライブを思い出しながらこの高架橋の下を潜った。それを過ぎ化野念仏寺付近で左に折れると鳥居本のバス停に出られる(旧鳥居本駅付近)。高架鉄道のホームに行くのに高架の下を潜りそこから階段でホームに上がるそんなイメージだろうか。愛宕街道(清滝道)の下を潜り道路の反対側に出られる。旧愛宕街道は谷沿いを通っている。これに対して旧愛宕鉄道が山の斜面を切り開いて鉄道が敷かれたためでその線路跡が清滝道になった。僕は時計を見てそろそろバスが来るであろうと予想で鳥居本バス停に向かった。その通路で東南アジア系の若い出稼ぎ者(研修生)風?小柄な数人の女性とすれ違った。

「こんにちは」
「こんにちは」

日本語学校に通っているのか外国語訛りがあった。実に楽しそうにおしゃべりしながら通りすぎて行った。確証があるわけでもなく勝手な想像に過ぎないが、彼女らは普通の観光客には見えなかった。僕は彼女たちが故郷に仕送りするために働きに来ているのではあるまいか、生活感が漂い、どこか彼女たちは背負っている物が違うと感じたからだ。少子高齢化の日本において彼女らessential workerが現場を支えている。そんな彼女らも休日新緑を求め嵯峨野にやって来たのだろうか?

この鳥居本バス停にも10人足らずの観光客が待っていた。

chapter2-9 嵯峨祭→


余談ながら・・・・・

鮎茶屋平野屋
2021.3.1撮影、梅が咲く頃
鮎茶屋平野屋の調理場にいたワンちゃん、SNSで話題に
2021.3.1撮影、梅が咲く頃

2021.3.1 僕はfacebookのあるgroupに平野屋の写真を数枚投稿した。早速commentが寄せられ、このワンちゃんも結構有名らしいことを知った。
当時コロナ禍であり、観光客もまばらでワンちゃんものんびりできたのだろう。その後数回この地を訪れているが、店の中にいるのか見掛けない。


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