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山陽道をゆく chapter1-11倉敷・直島(11)



→chapter1-10倉敷・直島(10)


僕は朝風呂は6時からと聞いてはいたが、開場まで待つつもりで3階の蜂蜜風呂(男湯)に行った。その20分前ではあったが、入ることが出来た。言うまでもなくソロ風呂である。


山田養蜂場とのcollabで開発した風呂で楊貴妃もクレオパトラも愛用した真珠のエキスも入っているとの触れ込みであった。昨夜Kさんが2Fの蜂蜜風呂(女湯)に入った感想によると

「ハチミツゼリーの匂いがプンプンするのかと思っていたら、ベトベト感もなく、ハチミツと言われなければ普通の風呂と変わらない」とのことであった。


あまり期待を持たず湯船に浸かった。冬場、自宅の風呂でも入浴剤を入れている。正直、感覚的にはそれらと変わらないと思った。楊貴妃・クレオパトラ、BIG Nameに何か特別の期待を持ってしまった。



昨夜は最上階の大浴場と隣接する露天風呂に行った。夕食前であったが、こちらもソロ風呂で何だか表紙(拍子)が抜けた。温泉の大浴場では滅多に他人さんと言葉を交わすことはないが、たくさんの人がいることで温泉に来ていると妙に実感出来る。小さなお風呂なら別だが、広い大浴場でポツンと1人とは何だか寂しい気がした。

この展望風呂は陽が暮れるまでならさぞかし眺めは良いのだろうが、暗闇の中で遠くに灯りが見える程度であった。露天風呂はこの時期(12月初旬)ともなると瀬戸内海から鷲羽山に冷たい風が吹き荒れ、やはり寒かく感じた。


瀬戸大橋
明け方撮影


結局、展望風呂に逆戻り、誰か入浴して来るのかと思いきや、人の気配、全く無し。一人湯船に浸かりながら今日の出来事を思い浮かべていた。


Viking style
buffet style (all-you-can-eat)


食べ放題というのはいろいろな料理を楽しみながら食べられるという点では良いが、結局あれもこれも味見をしてみたくなり、特にこの日は非日常的空間の中で気分もすこぶる良く、満腹中枢🫃が休暇中だったこともあり、つい、食べ過ぎてしまった。


Dessert
buffet style


朝食も夕食も同じホールで同じ場所に座り、同じViking バイキング方式だった。違っていたのは、窓の向こうに教会が見え、奥にジェットコースターらしき物が見えたことだった。


あれは何だ!朝食を取りながらGoogle mapでググった。どうやら遊園地のようだ。ただなぜそこに教会があるのか?が解らなかった。



Check outの時、

「Hotelの向かいに教会らしきものが見えますが、あれは何ですか⁉️と尋ねた。

「あの教会は以前、当hotelが結婚式場として使っていたものです」とベテランstaffと思しき女性が答えた。

「なるほど、そうか」僕は頷いた。

昨今少子高齢化の日本で結婚式を挙げようとする人は減少の一途を辿っている。反面、やたら家族葬のTVのCMが目立つのも合点が行く。



昨夜Mさんが船の時間に間に合わせるために翌朝は8時出発であることを言及した。そのためか?早くから僕たちが乗るbusが待機していたようだ。昨晩このbusは『一度倉敷営業所の戻ります』と運転手さんが言った時、ただ寝に帰るだけの時間帯であることを知りながら、余程、乗務員用の部屋の枕より自宅の方がゆっくり休めるのかなと思った。rushを避けるためには朝の点呼を終え、6時には営業所を出発してきたのだろうということは容易に想像できた。道中何があるかわからず、busが遅れるわけにはいかない。

僕のcarry はbusには積まなかった。着替えた服とお土産を詰めて宅配便にしてたった今、frontに出したばかりだ。backpackひとつ、身軽という他ない。

Front staff総出で僕たちを見送ってくれた。僕たちはbusの中から手を振った。

『お気をつけて 行ってらっしゃいませ』とengine音で掻き消されて十分には聞き取れなかったが、満身の笑顔で一生懸命に手を振っていた。

busは8時より少し前に出発した。


hotelから宇野港までのroute


Mさんの『昨晩はよく眠れましたか?』は朝のあいさつの決まり文句だ。まずは同乗者の顔を見た。皆が沈黙する中、僕もあまり寝ていないとは言わず、沈黙をした。

「出船の時刻に間に合わすために早い出発となりました」と昨晩と同じことを言及した。誰しも旅行に出た時の朝はゆっくりしたいのは同じである。しかし今日行くところが船で渡るしかない[直島]であることを考慮すればやむをえまい。そんな雰囲気が沈黙となり漂っていた。

Mさんは本日の工程を説明した。念を押すという意味もあったのだろう。

「まずは宇野港より船に乗っていただき・・・・・」

僕は郵送されて来たjourney行程表をscanしていつでもスマホでcheckできるようにしている。僕がこの日一番楽しみにしているのが[Benesse House Museum]である。

鷲羽山の山道を下り10分くらい走りと児島市街地に入った。そこを抜けると瀬戸内海が視界に飛び込んで来た。2024年3月に尾道からしまなみ街道を経て今治に出たが、あいにくの雨で瀬戸内海のきれいな景色を拝むことが出来なかった。今日は気持ちの良い冬空である。

唯一残念だったのが、座っている席が海側で無かったことだ。cameraを向けたが、朝日が差し込み、走行中でどんどん景色が動き、うまく捉えることが出来ずにいた。じゃ席が空いているのだから海側に行けば良いではないかと言われればそのとおりだが、走行中はseat beltをせよ❗️と道路運行法でも定められており、迂闊に移動できない。そうこうしている内に玉野市街地へと入ってしまった。




まもなく大きな屋根と大型クレーンが見えた。それは造船場であることは察しが付いた。ググってみると三菱重工マリタイムシステムズ(旧三井造船玉野)であることが解った。

『でかいなぁ』と感心しているとbusの前を数台のcycling🚴車が連なった走っているのが見えた。対向車が居ない時にbusは彼らを大きく躱す(かわす)ように追い抜いて行った。busの後ろ手にどんどん引き離して行ったが、busが信号待ちをしている間に追い付いて来た。

僕はふと、[こころ旅 NHK]の番組を思い出した。
『火野さんのlocaロケ隊もたぶんこの場所を通ったに違いない』と・・・。



僕は火野正平さんが体調を崩し、しばらく新たなロケが出来ず、再放送ばかり流していた頃、face bookに投稿が出た。忽ち(たちまち)何千何万とそれを惜しむ[いいね]が付き、何百とcommentが投稿された。僕はあまりにもたくさんのcomment中で誰ひとり見向きもされないことを承知の上で書き込んだ。


拝啓、火野正平さま、お身体を崩され、しばらく休養されていると聞きました。僕はいつも[こころ旅]を何よりも楽しみに見ています。視聴者からの手紙をもとにその方の人生の一番の思い出が詰まった場所に出向き、最後にその手紙を読むという単純な番組ですが、あの火野さんの関西訛りの低い声で熱く語るように読み上げるのを聞いていて、その方の人生の縮図を垣間見るようで感動🥺のあまり、前が見えなくなるほどの涙を数えきれないほど流しました。あなたさまは唯一無二の存在です。今は十分に休養に専念され、体調が良くなればまたロケに復帰されることを切望しております。

その後、火野さんは一度は復帰されたようですが、2024年11月14日死去したと同20日事務所より発表、享年75歳、子役時代から数えきれないほどの映画・ドラマに出演。尚、NHK BS[にっぽん縦断こころ旅]は実に1200日回以上14年に及んだ。

謹んでご冥福をお祈りしますとともに素敵な番組をありがとう❗️


しばらく代役で有名俳優が替わるがわる自転車に乗り務めていたが、4月(2025年)からは2代目旅人として女優、田中美佐子さんが決定したと発表。



こころ旅に思いを馳せていたらbusは宇野港に到着した。


宇野港フェリ乗り場


chapter 1-12 倉敷・直島(12)→


afterward後書き

*文中の蜂蜜風呂の体験談はあくまで個人の感想である。

*このtourにはお一人様1個の無料宅配serviceが付いている。

*『やはりそうだったか』、執筆中にいろいろ調べて行く過程でこのWASHU BLUE 風龍(かさご)が元鷲羽山ハイランド(遊園地)hotelであると解った。

明治38年創業の「山佐旅館」から“旅籠のこころ”を受け継ぎ、
1980年に「鷲羽ハイランドホテル」として鷲羽山の丘陵にうつり、
2019年に「WASHU BLUE RESORT 風籠」として
再スタートをきってから、約5年。
これからも、風籠を訪れてくださったすべての方に、
より心地よい時間をお過ごしいただきたいという想いから、
新しいかたちのおもてなしをはじめることにいたしました。
これまでの歴史とつながりを大切にしながら、
2025年の春、風籠の物語はあらたなページへ。
一生に一度ではなく、何度でも帰ってきたくなる場所を目指し、
わたしたちは挑戦をつづけます。

by home page of WASHU BLUE RESORT 風籠 


postscript追伸

このchapter1-11執筆中に毎日新聞夕刊に大原美術館の元館長、高階秀爾(しゅうじ)さんの記事を目にしたので記すことにした。

毎日新聞2025年2月13日夕刊記事


大原美術館ではChildrens Art Museumや若手作家支援事業(ARKO)などにも尽力されました。

僕は高階さんが出演されていた番組を見てお顔を覚えているだけではあるが、僕の地元、京都造型芸術大学大学院長も務められていました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。







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