周山街道をゆく chapter3-1 常照皇寺(1)
ここに記すものはコロナ禍の2021年10月2日(土)に周山の常照皇寺・美山かやぶきの里へ行った時の旅日記である。あるblogに認めていた下書きをNote「周山街道をゆく」chapter3として編集・加筆したものである。一部を省き同日の写真を掲載している。
僕が子供の頃は、タイヤが沈んで坂道を登るのに息苦しいほどに目いっぱい材木を積んだトラックが狭い周山街道(国道162号)行き来するのをよく見かけた。それから半世紀が過ぎ、周山街道もすっかり変わったようである。北山杉で名だたる中川・小野郷と言った地区も悲しいほどに寂れていた。おばあさんが小さな畑作業をしている姿を見かけるくらいで沿道には人影はない。外国産の安価な材木に押されたことに加え手間がかかる上、きつい林業の仕事は若者が敬遠するようになった。高齢化が進むと共に山に人の手があまり入らなくなったようである。
1時間に1本の周山行JRバスは高雄を過ぎると乗客3人になった。そこから15分ほど信号の無い山合いの国道をひたすら走り、*トンネルを越えると周山に入った。
ちなみに周山(京北町)は2005年に京都市右京区に編入された(元京北町2020年現在人口4810人高齢化率45.2%)。それに伴い町営バスは京北ふるさとバス(公益財団法人)に移行し、地域の足として運営されている。
JRバス終点周山バスターミナルと言えば聞こえは良いが、一緒に下車した乗客は迎えの車と共に消えてしまった。後は、誰もいない。半世紀以上前までは町の中心であっただろうが、今は廃れているとしか言いようがない。
JRバスの運転手に『常照皇寺と美山かやぶきの里バスツアー』のパンフレットを見せて、どのバスに乗れば良いかを尋ねた。
「わかりません」とポツンと答えた。
このツアーはJRバスとのコラボで周山(京都市右京区)と美山地区(南丹市)の観光企画である。それが京都駅〜周山まで運行する運転手が知らないとはどういうことなのか?と思ったが、このキャンペーンはその程度なのかと思い直した。コロナ禍の緊急事態宣言が長く続いたこともあり、閑古鳥状態になっているようである。僕が少し不満そうな顔をしていたら
「となりのバスの運転手さんに聞いてください」と言った。
しかたなく別のバス会社の老運転手にパンフレットを見せ尋ねた。
「常照皇寺行きはあちらの緑のバスです。まもなく出発します」と答えた。
緑のバスは比較的新らしい小型バスであった。僕は一番前の席に座った。2分ほどしてさきほどの老運転手が乗り込んできた。すぐに
「常照皇寺までは運賃はいくらですか?」と尋ねた。
「現金で300円です。」と答えた。
ほとんどの場合、スマホタッチペイで済ますので財布を出す機会は少ない。僕はポケットから小銭入れを出した。幸い100円玉が3枚あった。よく見れば運転席の横に現金徴収と書いたプラスチックの箱が置いてあった。
「ここに入れればいいですか?」と尋ねた。一律300円であるらしい。
「下りる時に払えば良い」と答えたので僕は100円玉を握り締めた。バスはディゼルエンジンの音を高らかに立て出発した。2021年10月1日から緊急事態宣言は解除されていたが、乗客は終始、僕だけであった。
バスは旧街道から国道(162号線)にある道の駅の信号を横切り、暫く行くと田畑が続く平地に出た(国道477号線)。周山は盆地なのだと初めて認識した。京都市街地から見てかなり高地にある。ちょうど稲刈りのシーズンでコンバインが遠くに見え、一面黄金色の絨毯の一部が四角に切られたように刈り取られていた。
僕より少しだけ年上のように見える老運転手と2人だけ(独占)の空間があった。
「まるでリムジンですね」とタクシーの運転手に語りかけるように言った。
「周山は初めてですか?」と老運転手が尋ねてきた。いつも乗ってくる乗客は限られ、皆、顔見知りなのだろう。よそ者はすぐわかる。
「40年くらい前になりますかね。研修会の一環で常照皇寺に座禅を組みに来たことがあります」と懐かしく語った。
それは若手リーダーの研修会だったと記憶する。どこかの会館で講義があった後、夜に常照皇寺で座禅体験をし、京北ゼミナールハウスで宿泊するものだった。そのため僕は夜道を数人の研修生を乗せ、周山街道を(ナビは無い時代)道路地図片手に走った記憶が甦った。
「常照皇寺までは*歩くには遠すぎるし、タクシーも無いようだし・・・」と僕は言った。
「歩くのは、ちょっと大変ですね」と老運転手はぽつんと言った。
途端に帰りは大丈夫なのか不安になった。こんな陸の孤島のような所で置き去りにされたらたまらない。京北ふるさとバスの情報はほとんど持ち合わせていなかった。今乗っているバスは周山・かやぶきの里モデルコースに記載されているバスの時刻ではない。
「帰りのバスはあるのですか?」と心配顔で聞いた。
「ちょうど40分くらい後に京北病院行きのバスがあります。病院前にかやぶきの里行きのバスが数分後に来るので乗り換えてください」と親切に教えてくれた。
chapter3-2 常照皇寺(2)→
追伸postscript
本文の補足になればと認めることにした。
実は約2週間前の9月19日(日)PM, 北山杉の産地、中川・小野郷は今どうなっているだろうという郷愁の思いに駆られ、ふらっとJRバスに乗った。結果的にそれが10月2日の旅日記の下見になった。途中下車することなく、終点の周山バスターミナルまで乗ってしまった。その車内で『美山・京北のバスツアー』のパンフレットを見つけた。
バスから下りて誰一人歩いていない周山の町を探索した。そこで見つけた観光案内地図には常照皇寺がclose-upされておりその距離は7.6kmであった。すでにPM2時が過ぎていた。季節がら1・2kmくらいなら歩いてもよかったが、結構な距離がある。よそ者にとって路線バスのルートは分かりにくい。バスの運転手に尋ねたくても休憩室に入ったままである。手っ取り早くタクシーを使うことを考えた。バスターミナルの裏手に錆びついた*周山タクシーの看板が目に入った。その車庫らしきところへ行ってみた、が、タクシーは出払って空だった。Netで周山タクシー状況も調べると保有台数は2台とあった。ダメ元でNet記載の電話番号にも掛けた・・誰も出ない? やはり・・・。
一度乗客を乗せたら暫く帰って来ない。そのことは30年位前にびわこ湖岸の子供の国へ行く時に安曇川駅で経験している。長い間タクシーを待っていたが、なかなか戻って来ない。結局、しびれを切らして家内と子供3人連れて歩いたら1時間以上掛かった。帰りは運良く子供の国でタクシーを捕まえることができ、5分で戻れた。いつでもどこでも簡単にタクシーが捕まえることができると思っているのは、都会人の勝手な思い込みに過ぎないことに気付かされた。
結局、この日は諦め、道の駅の裏手の丹波山地から流れ出る清らかな弓削川の土手でおにぎりを食べ、次のバスで帰った。
*周山タクシー株式会社は2022年12月15日付で登記記録の閉鎖に至る(経済産業省)
*余談ながら、周山街道(162号)は高雄から周山まで3つのトンネルを抜ける。但しJRバスは中川・小野郷の集落(旧道)を通る。車で周山方面に向かった場合、道なりに進むとそのままトンネルに入るのでこの北山杉の集落に気付かず通り過ぎてしまうことがある。