
山陽道をゆく chapter1-9 倉敷・直島(9)
→chapter 1-8 倉敷・直島(8)
それからAtriumアトリウムには外階段があった。僕たちはCさんに案内されて2階へと階段をゆっくりと上がった。
目に飛び込んで来たのは、vintage級のgrand pianoであった。思わず触れてみたくなったが、これも施し(展示品)の一つであると思い、やめた。他の美術館に比べて大原美術館は応接間に飾る絵画のように作品と鑑賞者との距離が非常に近く、特段、ロープなどで仕切られていない。
「ここでは時々演奏会が催されることがあります」Cさんが言った。
美術館で演奏会?imageを膨らませた。賛否両論はあるものの昨今、有名寺院でもconcert演奏会が催されることも珍しくない。確かに音響(反射響)は期待できないが、本来、こうしたconcertはPalace宮殿で演奏されていたものだ。抑揚感は高いと言える。
部屋の奥には飾り窓があった。その優美さが一層、この部屋を引き立てていた。僕はひとりそれに魅せられて先に奥へと進んだ。禅寺の小窓から庭を望むようにその窓からは倉敷川(運河)の古い街並みが見えた。

image写真は[rurubi.jp]より引用
館内撮影禁止🈲のため
「こちらをご覧ください」Cさんの声が聞こえた。僕は振り向いたが、少し離れたところにいたので充分に聞き取れず、みんなが居るところへ急ぎ戻った。

image画像は【倉敷とことこ】より引用
館内撮影禁止🈲のため
「この絵画は、制作者(画家)の特別の思い入れがあり、児島虎次郎画伯がアトリエを訪れて懇願してもなかなかOkをもらえ無かったそうです。それでも日参してようやく制作者が譲り渡す条件を出しました。それはこの絵画7枚を横一列に連結したsizeサイズに合わせて建物を設計し、そこに一面飾ってほしいという要望でした。」とCさんは熱く語った。そしてひと呼吸し、続けた・・・
「残念ながらその制作者は戦争(第二次世界大戦)が始まったこともあり、生前、大原美術館を訪れることはできませんでした、が、戦後、その子孫の方の表敬訪問が叶いました」というepisodeを披露した。
僕はこの話を聞いてすごく感動した。世界には数えきれないほどの美術館があるが、その絵画🖼️のsizeに合わして建物🏠寸法を決めたところはここだけではないだろうか?
圧巻である。 と言うか、近くで観ていて怖さを感じる。左側の地獄絵から始まリ、無数の苦難に満ちた人が描かれている。制作には実に25年を費やしたという。おそらく毎日書き続けていたわけではなく、時々修正を加えながら描き続けていたのだろう。それにしてもすごい執念というべきである。Europeにはsagrada familiaサクラダ ファミリアのように何十年何百年も掛けて完成させる建築物が少なからずある。そして忘れてはならないのが、この絵の右側には第一次世界大戦で亡くした制作者の娘も描かれている点である。その悲しさをここに書き込むことで供養になると思ったのではないだろうか。
*僕はその場から離れていたのでこの作品名と制作者が誰であるかを聞き漏らした。後日調べてみたが、他の有名絵画の紹介に多くのpageが割かれ、この絵画🖼️が一向に出て来ない・・・⁉️。
あの知る人ぞ知る藤田嗣治画伯の[舞踏会の前]1925年の作品の前に立った。Cさんは
「これは何をしようとているところだと思いますか?」という例のお決まりの質問をして来た。

REVITION BY GOOD NOTE6
「まず僕が着目したのが、裸婦が5人、淑女(着服)が2人、そして仮面が7個ある。
7個目は裸婦の間にも仮面らしき物が見えます(絵図青矢印↓)」と言った。(但し確実なのは6個、見方によれば7個と捉えることができると主張) 続けて・・・
この推理で行くと風呂上がりの裸婦5人は今晩の舞踏会に行くためにこれから衣装を着るところ、残りの2人はすでに衣装の着衣を終え、直前に仮面を着けようとしているところではないだろうか⁉️」
「おしゃれをしてお出かけ好きな淑女たちの顔にワクワク感がにじみ出ている😊」とつぶやいた。
他の参加者と違う見立てであった。絵画とinteractive双方向対話(相互作用)では大いに推理を働かせなければならない。
こうして1枚の絵から多くの推理が生まれ、観る者を楽しませてくれる。制作者はどんな思いでこの絵と向き合っていたのだろう?と想像を膨らませてみるのも面白い。
もし藤田嗣治画伯のavatarアバターとchat potが出来たら・・・・。
制作者の真の意図(答え)が見い出せるかも知れない。
尚、この作品の中央に立っている裸婦は後に藤田嗣治画伯の3番目の夫人となるフランス人ユキ(お雪)=リュシパドウとされている。
通路から新館へと入り、トイレ休憩となった。
ふとNHK日曜美術館を思い起こした。それは撮影のために館内を貸し切り、curatorがguest数人を案内する番組だ。僕はこの番組を見てその美術館・博物館の作品に憧れる。TV cameraや音声マイクこそないが、今まさに僕たちはそれと同じsituationに居る。特別感を感じずにはいられない。

By pamphlet
結局トイレには誰一人行かず、名ばかりの休憩は終わった。再びCさんの案内に付いて新館を歩いた。そして決して広いとは思わないが、新館での近代美術品などたっぷり作品を鑑賞した。参加者はいろいろと観て感じたところを述べたり、curatorに質問をしていたが、近代そして現代美術に成れば成るほど作品というより[表現]と言うに相応しくなり、次第に質問は減って行った。

「これにて案内を終了します。拙い説明でしたが、いかがでしたでしょうか?」とCさんは僕たちの顔を見て言った。そして
「最後に何か質問はございますか?」とCさんは尋ねて来た。現代美術の[表現]の凄さに圧倒されたのか誰からも質問は出なかった。
「これで最後になります。今のうちに聞いておくことはありますか?」Mさんが念を押すように問い掛けて来た。参加者はお互い顔を見合わしたが、沈黙するだけであった。
僕たちは本館出口を出た。
「ありがとうございました」とまずは二人のcuratorさんに礼を述べた。他の参加者も
「ありがとうございました」とそれぞれが礼を述べ頭を下げた。二人のcuratorさんもそれに合わすかのように
「ありがとうございました」と頭を下げた。そして一息着いて僕は最後に一言発っせようしたその時、
「この後、busに乗りhotelまで小一時間掛かります。その間トイレ休憩がありません。ここでトイレを済ませておいてください」とMさんが言及した。
すぐさま参加者の女性はトイレに向かった。僕だけが男性トイレに入った。
「受付で荷物を受け取ってください」とトイレから出て来たひとりひとりにMさんは声を掛けた。
僕は受付に向かった。門の入口の前には男性2人のstaff(curator)が待機していた。僕たちが出た後、一斉に戸締りをするのだろう。すでにCさんの姿はなかった。代わりにDさんが受付にいた。荷物を受け取る際に
「NHKの日曜美術館ならぬ木曜美術館のようでとても素晴らしかった」と僕は最高の笑みを浮かべて言った。
Dさんは一瞬きょとんとしたように見えたが、[NHKの・・]と言ったから、たぶん、たぶんだが、[木曜美術館]と言った意味がわかって貰えたと思う他ない。本当はあの時、終始懇切丁寧に解説してくれたCさんに『NHKの日曜美術館・・・・・感動した』、そう言いたかったのである。

主人公 織絵は大原美術館のsecurity staff監視員
僕はこの小説をkinndleで読んだ
著者は美術に関する造詣が深くcuratorでならではの圧倒的な描写力
僕たちは外に出た。それを待ち構えたように門が閉められた。僕はその閉められた門を見た。
『似ている‼️』ふとそう思った。
頭の中であの小説[楽園のカンヴァス]の主人公、早川織絵とCさんを重ねた。
chapter1-10 倉敷・直島(10)→
postscript 追伸
山陽道をゆくchapter1 倉敷・直島を執筆(連載)して50日が過ぎた。まだ1日目(2024年12月5日(木)の執筆である。書き始めた頃はこれほど長くなるとは想像していなかった。今も自身の記憶を頼りに書き続けられるのは約200枚にも及ぶ写真があるからである。
例えば家族で行った場所に再び訪れた時、その日の光景が記憶という引き出しの奥にしまっていた思い出が動画を観ているように鮮明に脳裏に映し出される、つまり記憶は蘇るのである。これが脳科学でいうepisode memoryエピソード記憶だそうである。
だが、大原美術館館内の写真がない。思い出せない!
会話なら一字一句が違っていても問題ないだろう。が、このnoteで公開する以上、史実に関することは記憶違いでしたと簡単には済ますわけには行かない。読者に間違った情報を与えかねないからである。
手っ取り早い事実確認方法はnet検索だが、wekipediaやnet情報などは、個人的信条や見解を記載している場合もあり、必ずしもそれが正しい事実を述べているとは限らない。
【疑え、事象を疑え】は薄学の僕が10数年の学校生活で学んだ唯一の生きる術だ。だから複数のevidenceを確認するようにしている。
あの時、Cさんが語ったepisodeは何だったのだろう? 制作者(画家)や作品名は解らない。
【大原美術館】で検索した限り、それを記載したものはなかった。【大原美術館作品list】にも無い。京都市図書館で【大原美術館】に関する本を借りて調べてはみたが無かった。
一つだけhintヒントがあった。それは大原美術館を建てる時にこの絵画の寸法に併せて設計されている点だ。設計者薬師寺主計に関する資料に出て来るはずだ。今度は図書館で薬師寺主計の本を借りた。しかしあの時Cさんが話したepisodeはおろか、この絵画に関する記載は全くなかった。
わからないまま数日が過ぎた。
【大原美術館2F】でダメ元で検索した。
そうしたら多くのblogerがposting投稿しているではないか、同じnoteにもあった。
作品名【万有死すに帰す。されど神の愛は万有をして蘇らしめん】
制作者Leon Fredericである。
僕は法人のblogをnoteに埋め込むことはあるが、個人さんのnote blogを埋め込むことは避けてきた。しかしその内容が素晴らしかったのでその方をfollowさせていただくとともに異例ではあるが、そのcomment蘭に丁寧に[noteに埋め込みたい]旨を書いて送信した。
『〇〇さま、晴遊雨読と申します。僕は2024年12月5日、あるtourに参加し、大原美術館に行きました。その時の事を今noteに書いています。その中で2Fにあった大きな絵画の長い作品名と制作者名を思い出すことが出来ず、net検索でも有名絵画に押されて出て来ませんでした。途方に暮れている時、偶然あなたさまのnoteを見つけました。誠に僭越ながら僕のnoteにあなたさまの素敵な😀note blogを作品紹介とepisodeして(埋め込む)埋め込まさせていただけないでしょうか?尚、レオン フレデリックの記載の部分、山陽道をゆくchapter1-9 倉敷・直島section(9)は今のところ未公開です。もし不承知ということならば[埋め込み]ことはしません。お手数ですが、ご回答賜れば幸いです。2025年1月27日 無名人 晴遊雨読』
どのような返事commentが返って来るにせよ、同じnote執筆者として礼儀ではないかと思ったに他ならない。
そして後日、快諾を頂いた。僕とほぼ同時期に大原美術館に訪れている。
Just an aside 余談ながら
[はじまり、美の饗宴 すばらしき大原美術館コレクション]の本のLISTにLeon Fredericレオン フレデリック記述が出てこない理由が解った。
この本は2016年1月16日〜4月4日国立新美術館で開催された時のmuseum shopでしか手に入らないofficial guidebookである。もしかしてあの長い作品名の絵画は建物に固定化され、簡単に取り外せるものではなく、展示には至らなかったのはあるまいか?
そして京都市図書館でこの本を借りることができたのは、ひょっとして国立新美術館に行った人が寄付をしたからではないと・・・、全ては想像である。
【万有死すに帰す。されど神の愛は万有をして蘇らしめん】
*[木曜美術館] : 僕が大原美術館を訪れた日が2024年12月5日木曜日であった。