知識を更新するのは難しいけど、面白い
今週読んだ、週刊ゴルフダイジェストの連載漫画、「オーイ! とんぼ」で、タイでプロテストを再受験しているイガイガさん(賭博で日本のプロゴルファーライセンスを剥奪されてる)が呟いた一言
これ名言です。若い頃の自分に言い聞かせたい。失敗した過去の結果をグダグタ言っても拉致はあかない。他者に自分の正論を伝えても、人は変わらない。ホント真理です。でも、揚げ足を取るつもりはなく、冷静に考えると、過去というか歴史はたまに変わります。
鎌倉幕府の制定は、1992年でなく、1885年
踏み絵は絵踏
起きたことは変えられないけど、解釈の仕方で変わります。歴史に限らず科学でも、
天動説から地動説
古典物理学から量子物理学
そう、常識は変わるんです。この変化を知るのが難しい
自ら気づきに行く
他者から気付かされる
どうせなら前者の方が楽しい。と思うし、自分で気づいたほうが、過去の振り返りと今後こうしようと自ずと考えられる(後者だとやらせれ感あり)。リスキル、リカレントが耳にする機会が増えていますが、本質から外れて、上っ面の活動、特にやる気のない人に組織が投資して効果はあるのか?なんて感じてます。
自分の場合、「常識は変わる」という当たり前を高校1年生の時教わったのは今考えると運が良かった。当時、担任の先生が、
「教科書に書いてあることは、必ずしも本当でなく、嘘の場合ある。そして、士業の人を信じるのも危険。特に教師・弁護士・ホメイニ師。疑う力を身に付けなさい」
と韻を踏み、当時の時事ネタと絡めて、先生自ら発している言葉すら信じ込むなと言う語り口が、今も色濃く印象に残ってます(先日、同窓会で恩師にこの話をしたら、ご本人は忘れていた…🥲)。
自分が持っている常識に沿って日常を過ごすのは効率的だけど、時には疑い、更新し続ける。むしろ自分の常識が音を立てて壊れることが気持ち良いとすら感じる。なんて年齢を重ねるごとにこの思いが強まってます。