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ロン毛の父親を知りたい人は読んでください



僕の親父は

『オザキダイ』


手足は太くて短いです。



そして無呼吸症候群。


オザキダイ


名前:尾崎大(ソニーの創業者である”井深大”から由来する)
生年月日:1971年1月6日
出身:東京都田園調布
出身校:田園調布小学校・田園調布中学校・法政第二高等学校・法政大学
経歴:博報堂・メッセンジャー・味の素・サッポロビール・アンダーアーマー・自営業
将来の夢:焼き鳥屋さん店主(2021年夢叶う)


祖父、父ともに公認会計士であるにも関わらず割り勘のお金すら計算が合わないオザキのオヤジのオザキさん。
田園調布生まれ田園調布育ちでありながらお坊ちゃま感が皆無。強烈な母に育てられ物凄い性格のまま育ってしまった大人。見た目からは想像し難いセンシティブな心の持ち主はイレギュラーに弱い。突然豪雨に見舞われると体全身に蕁麻疹が出てしまう。嫌なものは嫌、好きなものだけ!みたいな大人。いや、もうそれは大人ではない、子供だ。



”尾崎大”

プライスウォーターハウス(PWC)の公認会計士だった祖父(オザキの曽祖父)はソニーの創業者の一人である井深大氏を担当していた。曽祖父の命日には毎年ソニーから花束が届くという。井深大氏から頂いた”大”という名前を授かりこの世に存在している。田園調布に生まれ田園調布で育つ。田園調布小・中では長嶋茂雄の息子と同級生。遊び場はいつも長嶋家だったらしい。喘息持ちだったためマラソンと水泳を習いジュニアオリンピックに出場するまでに成長。今でも泳ぎスキルは健在。海遊びに行けば死んじゃったのかと思うくらい長い時間水中にいる。
高校は法政第二高等学校へ進学(明治、立教も合格していたとのこと)。ボクシング部に入部予定だったが1学年上のアメフト部員に勧誘されアメフト部へ入部。勧誘した人物は安田秀一氏(株式会社ドームCEO)だった。
法政大学へ進学しアメフトを継続。高校では主将で日本一、大学では副将で日本二位。当時は有名だったらしい。その話ばっかりされてた僕。

大学卒業後、大手広告代理店博報堂に入社。同じく広告代理店電通も内定していたもののどっちでも良いと面接で言い放ったというのが武勇伝。コピーライターを会社から勧められるも営業(サントリー担当)へ直行。ストレスが蓄積し得意の喧嘩っ早さで上司を馬乗りでボコボコにし入社9年で退職(クビみたいなもん)。これも武勇伝。

武勇伝武勇伝、武勇伝デンデデデン、大ちゃんかっこいい!!ってか。

その後、憧れだったメッセンジャー(自転車で郵便を運ぶ職業)へ転職。ピストバイクで東京を駆け抜ける日々。今でも自転車好き。車も好き。

そこから様々。味の素やサッポロ、車屋さんや色んなことをして株式会社ドームへ入社(当時47歳のおじさん)。3年で退職し夢を追いかける。



来たる2020年、

『焼き鳥屋の大将への夢』に向けてストレッチ開始。


来たる2021年、

『焼き鳥屋の大将への夢』が叶った(ウォーミングアップ無しでいきなり試合)。



不思議なお話

オザキ(僕)の父親として人生をスタートしたのは2009年。彼はオザキの血の繋がっている父親ではない。魂で繋がっている父親である(これ決めゼリフ)。

オザキが小学1年生の頃に初めて出会ったと記憶。インパクトは強烈だった。オザキとオザキ弟への全力のウケ狙いが両手鼻ホジホジだった。そこからオザキ兄弟は”ハナクソくん”と呼ぶようになった。ハナクソなんだけど敬意を示して君付け。ハナクソくん。

そこから月日が流れオザキの母親と再婚し家族になった。当時オザキは14歳、父親は37歳だと思う。ちなみに母親は44歳。弟は12歳。
再婚と同時に東京都大田区へ引っ越した(神奈川の湘南から)。新居は鵜の木にあるパークハウス多摩川だった。


そこから10年間パークハウスで過ごし2019年にお隣のお隣にある多摩リバーサイドハウスへお引越し。築47年のビンテージマンション(最上階ペントハウス)をフルリノベーション。5LDKから2LDKへ変えこだわりを詰めまくった我が家が完成!



古いモノ・コトを好む尾崎大は超絶ビンテージ好き。家も車もガラクタも。新しいモノは嫌い。
家は1971年製、車は1974年製と1975年製で本人はマンションと同じ1971年製。



家の中はガラクタだらけ。




ハナクソくんはいつもダイナミックでアホでバカで何でもデカくて力持ちみたいなイメージがオザキ兄弟には残っている。今は自分勝手でアホな大人だなあって思うけど。
7歳上の女性と出会い再婚し男子キッズ二人をいきなり抱え、どんな気持ちだったのだろう。博打だったのかどうでもよかったのか。

今まで”オヤジっぽさ”みたいなのはほぼ感じたことも思ったこともない。今後も思わなさそう。
ガキの頃、キャンプや海遊び、川遊びとかアウトドアに連れ回された。オヤジとは思わなかったけどデッカイ兄貴的な存在だった。デカすぎたけど。身体も声もクシャミも。クシャミ、ハンパないから。


オザキが大学卒業後、ほぼ同じタイミングで株式会社ドーム(アンダーアーマー)へ入社し同じ会社で働いた。なんなら一瞬同じ部署でも働いた。だからオヤジなんて思わなかった。同じ家に住む同じ会社の人みたいな。


彼には様々な趣味がある。まあ乗り物愛が強い、そして古いモノへの愛も強い。そして人間よりも心が通じ合う犬。



オザキ家実家には一匹の犬がいる。トイプードルの尾崎タイソン。マイク・タイソンから由来する。タイソンなのにめちゃくちゃ臆病という一面もある。コロナ禍で家族全員の超絶反対をシカトし勝手にタイソンを買ってきた。僕は反対だったので世話はしていない、しない。可哀想なタイソン。1年経って懐いたらしい。自分勝手のあまり500回くらい心の中で”●●”と叫んだ。←想像にお任せ。


彼はとにかくとにかく自分勝手である。全力の一人っ子環境で生まれ育ったからなのか、性格が変わってるのか謎だけど僕には理解し難いコトばかり。一緒に住むのが本当に大変だった。結婚した母親は本当に凄いと思うほど。


一方で趣味の範囲では択一なセンスを発揮する。とにかく探究心が凄い。ビンテージのアメ車がとにかく好きなのだが1日中ネットサーフィンしている。ガキの頃はしょっちゅう新しい車に変わってた。そのたびに母親がガチ切れしてたのも記憶にある。現在の車には非常に満足しているようで2台共に歴は長い。フォードトラック(3人乗り)とビートル(2人乗り)。オザキ家は4人だけどほとんど同じ車で出かけたことがない。4人で乗れる車がないから。

尾崎家の車は尾崎家のための車ではない尾崎大のための車である。


嫌いなものは嫌、好きなものだけ!な人間性の彼とも出会ってから20年ほど。家族になってから12年ほど。反面教師として僕は育ってきたのでむしろありがたい。こんな大人になりたくないなって何千回思ったことだろう。今でもたまに思う。趣味やセンスの部分は盗んでいきたい。


オザキ兄弟もようやく自立し(多分)、みんな自分の夢へ突っ走ってる。いや、昔からか。

中目黒で自分のお店を開く。

夢の焼き鳥屋の大将。

もちろんお店も【嫌いなものは嫌、好きなものだけ!】を寄せ集めた。だから完全予約制の知り合いしか予約ができない。店の名前もないし看板もない。経営上成り立つのか?と思うが勝算はあるらしい(多分ないと思う)。

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それでもそれでも

夢のために頑張る人はカッコいいと思わせてくれた2021年。2021年中に閉店しないことを願うばかり。



オザキの父親はそんな人です。気をつけてください!



お陰様で元職場やお知り合いの方にご予約を頂き連日満員とのこと。年内はすでに予約でいっぱいということで息子としても感謝ばかりである。

みなさんが気に入ってくれることを願うばかり。



少し変わった家族かもしれない。オザキ家はきっと変わっている、というか”変”を目指しているのかもしれない。

そのリーダーが尾崎大である。

あくまでも大黒柱は母であるが男子3人のチームリーダー的存在かもしれない。そうゆうことにしてあげよう。



企画力は抜群かもしれない。今では年賀状文化は薄くなってしまったが毎年毎年年賀状には気合いが入ってた。毎年毎年年明けから作り出すから届くのは1月中旬となる。年賀状ではない、ただのお手紙。


生粋のグルメ付きであり『汚くて安くて狭くて美味い店』が大好きである。正装を纏い気品の高い食事は好まない。練り歩きに練り歩いて味わってきたB級グルメを自分で店にする。お客さんが好きなモノではなく自分が大好きなモノを出す。それがスタイルである。

丸くなるな星になれ。


時代は関係ないらしい自分の人生だから。



是非とも頑張って欲しいと思う。というか今回は頑張れるんじゃないかなって思う。なぜなら自分がやりたいコトだから。



昔話を出すとするなら、、、

よく夜中に飲み会から帰ってきては、怒鳴り散らしモノを破壊し当たり散らすクソみたいな大人だった。起きたら扇風機が粉々というのはよくあった話。店でも街でも電車でもカッとなれば喧嘩してしまうクソみたいな大人。

今は落ち着いたらしい。そう信じたい。


とにかく酔っ払ってお客さんをボコボコにしないようにだけしてくれ。

がんばれ。





それと良い思い出も一応あります。

ルート66アメリカ横断旅


僕が高校を卒業した年の2月、男2人でアメリカのサンフランシスコからルート66に沿って横断しニューオリンズで行われるスーパーボウルを目指すという素敵な旅。


当時の軌跡をブログやYouTubeに残しておきたかった。めちゃ素敵な旅だったと自覚している。アメリカってなんか凄い。何が凄いかわからんけど。

バカでかいキャンピングカーで日々600kmほど進んだ。オヤジが1人で全日程運転頑張ってた。そして事故ってた。しかも序盤で。なんやねん、事故っとるがなって思ったけどな。

9年前!!!!!若い!!!!

2人とも英語力皆無の旅。しかもラスベガスで追突事故。1番の思い出が事故ってなんやねん。
経験には時間とお金がかかるな〜!


また連れてってや!事故ったら縁切るで?





note by  オザキ


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