研究・開発とは、抽象度を順序とした体系的な実在化である/諸究明・実現の原理的達成の方法についての証明
・基礎文献:
・本文
現象の真実在性とは、〈主観〉/〈現在〉の時空に構成される【体験】の自明性に拠って立つものである。
つまり、研究・開発においても、先ずこのように認識・自我に関する時空をこそ、実在化しうる過程だと捉えるべきである。
時空とは、空間内容のより具体(=特殊)的な要素の変容によって、時間現象たらしめられるものであり、逆説的に、より抽象(=普遍)的な要素である程度に比例して、存在は、自明なる【体験】=〈主観〉/〈現在〉の時空——にも遍在する、真なるものとなる。
こうした、実在的なものでなくては、研究・開発の過程においても、その現象の要素として、実在化することは不可能だというのが普遍原理である。
研究・開発の基本的なフローチャートは、抽象度の順序で普遍原理(=論理法則)を発見していき、それに準拠した(=合理的な)体系化(=論理的思考)を行い、それを基礎に置いて、その応用としての技術開発も行っていく……というものである。
(理論体系の構築・技術開発の実現)
つまりは、抽象度を順序とした体系性があればこそ、研究・開発は、それたらしめられるのである。
また、そもそもが、判断の際に、基準として既定するために、常に用意が可能であるのは、より抽象(普遍)的な存在のみに限られる。
そして、これの発展方法もまた、抽象(=普遍)度の高い分野(存在)の順序で体系性を獲得させてゆき、段階的に具体(=特殊)度を上げていく、複雑化の過程(専門化・細分化の過程)を進行させていく、というものが基本となる。
当然であるが、この過程において、「加えて究明しうる余剰」、としての問題自体がなければ、それを究明することはできないし、しようとする必要もない。理論体系をツリー構造として、抽象度を根幹の方向とし、枝葉の方向としての具体度を辿ってゆくという、然るべき順序で進めながら、行き当たったある作業が、単純的に完了してしまうものであり、その先が究明しうる余剰(枝葉)のない、虚空であった場合には、これを切り上げ、他の進展しうる問題へと移行すべきである。
又、この際において、【体験】に自明性・普遍性を確認できない箇所(=存在・分野)を通過していくことになる。
比例して、エビデンスレベル(実在度)は、ファジーになってゆく。
しかして、例えば〈客観(主観以外の空間)〉や〈過去・未来(現在以外の時間)〉といった仮定物を一種の実在として受容しない立場では、それを研究・開発に利用することもできない。
もし、それを叶えたいのであれば、【体験】との相違点によって《偽》へと分別するのでなく、共通点によって《真》へ分別し、それも一種の実在であるとして受容する必要がある。
その方法とは則ち、最高抽象度の、それが[存在(他とは相違したもの)]である、という概念は、万物万象に普遍の要素なので、それを構成要素に内含するもの(相違点によって他と分明化したもの)は、【体験】ではない仮定物であっても、疑似的に実在と見做す、というものである。
こうした共通点の重視によって、仮定存在の実在性に、部分的な保証を与え、より発展的な分野における《真》への分別可能性を拓くのだ。
こうした研究・開発の過程とは、つまりは、世界について知り、実現力を高めていく過程である。
そして、世界の全てを知り、それをこの過程に役立てる、ということを達成する方法として、世界に普遍の要素について順当に知る、ということが、それを部分的に成し遂げられるものとして挙げられる。
この成果物たる理論体系が、万物万象に対する系統的な理解と、実現力をもたらすための基礎となる。
また、統計的な手法や、AIのパターン処理機能などが有効となりうるのも、つまりは抽象度を順序とした体系化が行われるためである。
そういったものの利用がブラックボックスを拡張することは、確認不能性の観点からはリスクが伴う。
しかして、例えば、意識現象の顕在化機能を持つ個体の、情報的過程それ自体の効率化につながるような運用がなされた場合などには、それは確認による証明能力を拡張する手段として、ひいてはこうした研究・開発の能力をも拡張する手段としても、その利用は有効となりうるものである。
どちらにせよ、【体験】以外の仮定物を実在とみなし、研究・開発を発展させていく過程において、仮定されうる全部を加算される世界は、より複雑系となり、その何もかもを理解することは、どんな情報能力が対象となったとしても、それを更に上回るよう複雑性を無限大に上げていくことが、理論上可能であることを仮定すれば、永劫に不可能であることが論証できる。
そもそもが、確認者の理解や、そのための稼働・労働が常に果たされていなければ、非効率化されてしまうような、幸福追求や、組織構成のシステムは、その条件に制限されない場合と比較して脆弱であり、不理解や不確認が多少なりと伴うとしても、効率的に運営されるような強靭性を、それらには備えさせるべきである。
また、研究・開発に携わる、客観意識を持つ(主観意識ではない)他者、としての組織体が、理解を伴ってそれを行うために、その安全性は保証されるのだ、などと見做す場合においても、結局は、主観意識としての確認者にとっては仮定物であるものを信認し、又これの進展を他へ信託するものなのである。
以上。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?