合唱好きをこじらせて芸大まで行っちゃった話#4 別科時代
【写真】西武池袋線 仏子駅
進路に悩んだ僕に対し、先生はこう言いました。
「芸大を受ければいいじゃない」
1.生まれと音楽の始まり
2.音楽中断期
3.音楽再開
4.信大時代
5.別科時代◀︎ココカラ
6.受験勉強
7.受験、合格へ
しかしその年のセンター試験の出願〆切は、先生がその言葉を発したまさにその日だったのです。
僕は芸大を受けることができませんでした。
終
制作・著作
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ⓃⒽⓀ
終わりません。
とはいえその段階では、芸大というのは僕にとってまだ高嶺の花でした。
確かに同じ研究室から前年、それからその年も、芸大への進学者はありました。
(彼らは本当に上手で、今は大学院にいます)
けれど僕は職業として音楽家になる気持ちはありませんでしたし、そこに達するための力はないと思っていました。
ただもう少し音楽について勉強したい、今のままではあまりに音楽への視野が狭すぎて、教職にさえ就こうとは思えない。
そんな気持ちだったと思います。
結局その年、僕は武蔵野音楽大学の別科に行くことになりました。
その先生が教えているもう一つの大学だったためです。
3月、改修前の江古田キャンパスに赴き、簡単な入試を受けました。
無事合格をいただき、僕は埼玉県の奥地、西武池袋線最果ての土地、仏子駅近くの山の中に引っ越しをしました。
別科での生活
別科は卒業後の学部生が在籍したり、社会人が基礎的な音楽理論や音楽史を学びにくる、土日だけ開講される学科です。
大学院試験を控える人や、キャリアを終えた人などが通っていました。
ただこの授業だけではどうにも物足りなく、担当教官の先生に相談したところ、平日に学部の人が履修する授業に参加させてもらうことができました。
参加したのは「混声合唱」と「室内合唱」の授業でした。
入学してから知って驚いたのですが、ここでは栗山先生、片山先生が合唱指揮者として教鞭をとっておられました。(横山先生も別のクラスを担当されていたようですね。)
両先生のもと、音大ならではのオーケストラ付きの大編成の合唱から、小編成の合唱まで幅広く触れる機会に恵まれました。
(この年は飯森泰次郎さんと久石譲さんの指揮でカルミナ・ブラーナを、そして沼尻さんの指揮で武満を歌ったり、テレビ収録に参加したりしました)
音大の声楽科の学生の中で勉強をすることができたのはいい経験でした。
高校生の頃に先輩の声を聞いたことはありましたが、こうして専門に勉強した人たちが集うとここまで重厚な響きになるのかと驚いた記憶があります。
周囲の圧倒的な声量にビクビクしながらも、受験前に良いサンプルをたくさん得られた時間だったと思います。
またその頃から東京都内の合唱団にも顔を出し始めました。
授業のつながりから栗友会の皆さんにお会いする機会が増え、時折コンサートの打ち上げに混ぜていただきました。
長野にいた頃から「一度は」と思っていたお江戸コラリアーずにも行き始め、初演を含む演奏会やコンクールにも参加させていただきました。
慣れない言語や膨大な曲数に揉まれながらも、歌う場所が常にあったことはとてもありがたいことでした。
そして夏を迎える頃、先生とお話をする機会がありました。
「それで、受験の準備は進んでるの?」
次回予告
あわよくば地元に帰ろうとしていた僕。
音大生の様子を見て、やはり僕には縁遠い世界だと思っていた時期でした。
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