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合唱好きをこじらせて芸大まで行っちゃった話#6 受験、合格

【写真】合格袋。発表の時間から少し遅れてから行ったので、この袋を抱える人と何人もすれ違いました。

三次対策おろそかすぎて、楽語はイタリア語しかないと思っていた勢。
平静を装ってはいたものの、必死に参考書のページを思い浮かべていました。
…そういえばあったなあ

1.生まれと音楽の始まり
2.音楽中断期
3.音楽再開
4.信大時代
5.別科時代
6.受験勉強
7.受験、合格へ◀︎サイゴ

試験日はあっという間にやってきました。
受験を共にする友達もなく、親からも「何やってんだか」な目線を感じ、そもそも殆ど誰にも受験のことを伝えておらず、孤独な最後の1ヶ月でした。

ざっくりと、どんな試験だったかを振り返ってみます。

一次試験

一次試験で歌ったのは「荒城の月」と「Già il sole dal Gange」だったと思います。
日本語と外国語を4曲ずつ、計8曲を提出

当日それぞれから2曲ずつ、計4曲が指定

その場で1曲ずつ、計2曲を提出
という流れで決まりました。
受験する人にはお馴染みかと思いますが、この形式だと所謂「捨て曲」というものを作ることができます。
それぞれのジャンルで1曲だけなら、指定の曲の中に苦手な曲が
・入っていたら得意な方の曲を
・入っていなければより得意なものを
選択すればよいという仕組みです。
ですがこの時指定された曲はいずれも、どちらかといえば苦手な部類に入る曲でした。
不安から直前までマスクをしながら会場(あれは5ホール?)に移動し、レッスンの頃から繰り返し言われている注意事項を頭に浮かべながら歌った記憶があります。

試験が終わると、次の結果が分かるまで1週間ほどの時間が空きます。
なるべく早朝バイトを入れ、練習に向かい、疲れて寝る、といった生活を繰り返して過ごしました。
結果発表の日は、高速道路の上から「飛び降りたら死ぬよな…」とか、入間川の川辺で石を積みながら時間を過ごしていました。
今思えば相当な精神状態です。
一次なのに。
結果は通っており、親に連絡をしたところ大層驚いていたことを覚えています。
僕が1人で歌っているところなんて、見たことがなかったはずですから。

二次試験

二次試験は提出した自由曲を1曲だけ歌うものでした。
会場は6ホールという、200人ほどが入れる場所です。
曲はVerdiの”Non t'accostare all'urna”を歌いました。
先生から「君は低音域が魅力になるから、そこが映えるものを選ぼう」との意向からの選曲でした。
今思えば、大して低い音出てこなくない…ですか…?
とは言え独唱で歌うレパートリーなんて全然知らないままでしたから、当時は言われるがままというのがありました。

三次試験

2020年度の試験はコロナ騒ぎでなくなってしまいましたが、三次試験はここまで残った人たちがほぼほぼ同じ教室に集められ、
楽典、聴音、Chorübungen、新曲視唱、ピアノの試験をこなします。
幅広くやらねばならないように見えますが、自分について言えば、受験を決める前から大雑把に楽典的な内容は頭に入っていましたし、ピアノのレッスンで耳コピ的なことをよくやっていたので大きな苦労はありませんでした。
しかしソルフェージュの先生のもとに行かなければ試験の「形式」に慣れることができなかったと思います。
練習通りにしか本番はできないとはよく言ったもので、本番通りの問題を常に解いていた時間は、独学だけでは自分の場合あり得なかったと思います。

合格

合格の報せは少し遅れて知りました。
さすがに気持ちが落ち着かなかったので、やはり早朝バイトを入れ、普段より長めにシフトを入れ、合格発表の時刻はコンビニの食品の廃棄をしていました。
定刻から1時間ほど遅れて芸大に足を運んでみると、一次試験から同じ部屋で発声練習をしていた面々がピンク色の合格袋を抱えながら上島珈琲店の前を歩いてくるのが見えました。
なんとなく気まずかった僕は彼らを電柱の陰から見送り、そわそわしながら芸大の門をくぐり、無事自分の番号を見つけるとまず母に、それからお世話になった先生方に電話をしました。
母はそのときコンサートの休憩中だったらしく、ロビーでやたらとはしゃいでいる様子が電話越しに感じ取れました。

入っ「ちゃった」話

こうして合格までの道のりがあったわけですが、受験を決める前からの不安が払拭されたわけではありません。
結局この時点でも、まだ声楽を勉強することでどうなりたいのか、ぼんやりとさえビジョンが描けていないままでした。
合唱のことは何かやりたいとは思っていましたが(信大にいたころからサリクスや歌譜喜の活動は見ていました)、先生からは「合唱と声楽は違うから」と言われてしまい、何か具体的な目標を持たなければならないという切迫感に追われます。
多くの人が音大に行くときに、何かしらの覚悟をすると思うのですが、それを全くしないままだった。

そういう意味で、僕は入っ「ちゃった」人間だというお話でした。

次回予告

何かしら目標を定めねばと思った僕は、4年間の計画を立てます。
それから単位互換のおかげで他の人より自由に授業が取れることを利用し、広く浅く色々なことに手を出すことを決めました。
どんな授業を取ってきたのか、ふりかえってみようと思います。


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