自分のセンスをアップデートする作業
私は、事業会社のエンジニアとして働いています。
そして、たまに映像ディレクターとしてMVやライブ映像の撮影をしたり、最近は、写真活動を積極的に行っています。
今回は、私なりのアウトプットの質を変化させていく方法について、ツラツラと書いていきます。
まず、結論から述べます。
私が自分のアウトプットの質を変容もしくは向上させる上で最も重要にしている作業は、「自分で作ったものを自分で消すこと」です。
これをすればするほど、
自分がなぜこのようにアウトプットしたのか、ということに関しての言語化が進み、新たな自分の言語を取得します。
手を動かすことは習熟度向上の為の作業
一般的には、何かを習得する時、情報をインプットすると思います。
そして、それを参考に手を動かして写経するなり、真似して何かを作ってみるというアウトプットをする。
インプットして手を動かす。その量によってスキルの習熟度が向上します。
ただし、私の場合は、手を動かす行為で得られることは、
ソフトや道具に慣れて早く手を動かせるようになるため、もしくは自分の手ぐせの種類を増やすための作業として割り切っています。
それは、プロダクトや写真、映像を作る者としての基礎練なので、新たなスキル取得する上でとても重要な行為だと思っています。
なので、そういったプロセスを軽んじてはいません。
どんなに偉大な野球選手も素振りをするので、それと同じ行為だと思ってます。
しかし、一方でこの延長線上に自分が作るものの質の向上がないことも知っています。
では、私が自分なりに自分が作るものの質の向上をする上で大事にしていることはなんなのか。
自分が作ったものを自分で消す
20代前半、エンジニアとしてのキャリアをスタートした私は周りの人からよくこういった言葉を言われました。
「たくさんやれ」と。
今もこの言葉は大事だと思っています。
ただし、当時の私は、「たくさんコードを書く。たくさん手を動かす。」ということが大事だと思っていました。
そのおかげで、「コードを書く」「動くものを作る」ということに関してのスキルは習得できましたし、そういったアウトプットをすることに関しての抵抗感はなくなりました。
しかし、「質」に転化してる手応えが全くありませんでした。
結局、自分よりもできる人はいて、同じ処理を書くにせよ、そもそもの考え方が違う。と思いました。
動くものを作れるということは、ただのスキルなのであって、
そのスキルを持ってしてアウトプットされたものそのものに何か差がある。と感じました。
システム開発の世界においては、システムの質を評価する上で可読性、保守性、汎用性など様々な観点があります。
きっといつか経験を積むことでそういった観点を持ち、質の高いアウトプットをすることが出来るようになるのかもしれません。
ただし、インプットして、ただ手を動かし続けるだけのアウトプットをするだけでは、その「きっといつか」は待っててもきません。
では、どうするか。
一度自分が書いたコードを全部消すくらいの覚悟で、セルフレヴューをする。
すでに動いているコードを、自分の物差し外の指標や基準で見直して、添削するかの如くどんどん赤ペンを入れていく。
不要なところは消す。
「消す」という行為をするには、
その時点で言語化が求められますし、理由が必要ですし、一定の理解が必要かつ、そもそも消すに値するものかどうかを評価する為の審美眼が必要になります。
「書く・作る」作業よりも高度でかつ意識的な作業です。
そういった作業を各アウトプットごとにしているかの量をこなすことで、「質」に転化していくと思います。
RPGのように「質」に転化した瞬間に音が鳴ってわかりやすくレベルアップした感覚はありませんが、
自分が作ったものを自分で消すプロセスをする前と後だと、明確に変化している部分があります。
それは、自分のアウトプットしたものに対しての言語化が明らかに進んでいるはずです。
「なぜ、そうしたのか」「なぜこのタイミングでこういった処理をしているのか」「なぜこの行が必要か」「なぜこの一行がユーザーにとって必要なのか」
これらは、慣れてくると「書く・作る」作業をしながらでも考えれるようになってきます。
質が向上するかどうかはわかりませんが、少なくとも自分のセンスはアップデートされているはずです。
結論
慣れてくるとアウトプットは無意識でもできる作業になりがちです。
そういったアウトプットの延長線上には、自分のアウトプットの質の変化は見込めないので、「消す」という作業を「意識」的にやってみましょう。
そうすると、いかに自分のアウトプットの質が停滞していたのかに気づくことが出来ますw
私が知ってるすごいクリエイターはみんな、たくさん消してます。
たくさん消すにはたくさん作らないといけない。
なので、作ることと消すことは分断されたプロセスではなく同義だと思います。
「インプット -> アウトプット -> 消す」という一連の作業の量をこなせばいつか、質に転化する気がします。
なぜ今更こんな当たり前なことを言っているのか
冒頭にも書きましたが、最近写真を撮りたいと思い、カメラを購入しました。
そして、1ヶ月で約5,000枚写真を撮り、4,500枚ほど消しました。
どこかの写真家がXで「1ヶ月で1,000枚、1年で10,000枚撮りましょう。」
と言っていたので、気づけばその5倍やってました。
(自分の名誉のために言っておきますが、ちゃんと仕事もしてますw)
もともとカメラを持ち始めて10年以上経ちますが、
それでも、1ヶ月前に撮った写真と、最近とった写真では自分の写真の質が変わっているように感じました。(向上してるとは言ってないw)
映像は、編集作業というプロセスで強制的に「消す行為」を行います。
ただし、プログラミングや写真は、まず初めに「書くこと・撮ること」が重要視されがちですが、「消す」という行為を意識的にやらないとそれまでで終わってしまうことが多々あるなと感じたので、今回このような記事を書いてみました。
誰かの参考になれば幸いです。
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