浮かび上がってくる、香り
やはりビジネスシーンだと、自分の強みを伝える必要のあるシーンが多いなと感じる。そんなこんなで、有難いことに最近人から、僕のいいところを伝えてもらうことが多くなった。
よく言ってもらうことに
「人の話を聞く」
「温かい場づくり」
がある。ありがたい。
たしかにこの二点は、僕が無意識に意識していることだった。興味を持って相手に寄り添う。そして一人ひとりがいる意味を感じられる場づくり。嬉しいね。
こうして人からもらういいところ以外にも、僕はいいところがあるように思えてきた。それは
「発散」「収束」「感性」「声」「美的感覚」「言語化」「好奇心」「器用さ」「理解の早さ」「ユーモア」「ビジョン描写」「気遣い」
沢山あった。なんか、これ一つです。というのはもったいないくらいにたくさんあった。これは、ぼくという存在を頑張って言葉で切り取ろうとしたときの結果の一部なんだなと思う。
これらはシーンによって変わるのだろう。
人は花
僕はいつも、「人は花だ」という。
自分の存在を誰がどうとらえるかは、その周りの人次第で。だから私たちは、ただ花が道端に咲くように、私の思うままに私たちでいるしかない、みたいな話。
そして今、人の良さ、みたいなのってどういうものだろう、と。
それは人それぞれの色とか形とかあるけど、もっと直感的で捉えられないもの。
香り、というものがしっくりくる。
言葉では説明できなくて、でもたしかにあって。その感覚って、香りを表現する時と似ているなって。香るんだけど、表現できない、みたいな。
そして、その捉えどころのない香りを、好きな人もいれば、とくに好きではない人もいるだろう。でも、その花はただ香っているだけ。
言葉で区切るということ
最近、物事や存在を言葉で区切ることのはかなさ、について考えることが多い。
目の前の景色でも、自分の感覚でも、、、自分の五感という装置を通して知覚されたものを、さらに加工して言葉で記述しようとすると、その難しいことなんの。
もちろん、僕らは知覚するけど、認識するには言語を介してしかできなくて、言葉があるから認識が発生するとは思う。だからすでにある言葉や語彙が認識を作る。
世の中にはそれで切り取り切れるものも沢山あるかもしれない。ただ、人は、言葉で切り取れるよりもっと複雑なんだと思う。だからこそ、目の前の相手を切り取ろうとせず、知覚する。そしてそれ自体を感じながら接する。そんな在り方を目指したい。
花や自然を見た時、アートを見た時に心に起きることもそうだ。言葉にできない。その感覚は人と接するときにも同じことが言えるのだろう。
僕たちは、言葉にできはしないんだ。そんな当たり前にも思える前提を覚えておくだけで、そのままを受け取れるようになる気がする。
その先に、評価や判断を超えた関係がうまれるのかな。