【小説】時の郵便局③
前の話はこちら↓です。
悠太がそう尋ねると、彼女はわずかに目を伏せてから頷いた。
「はい。亡くなった人、過去の自分、未来の自分……どんな相手でも大丈夫です。ただし、この手紙の返事が届くかどうかは保証できません。それでも、何かを伝えたいと思ったことはありませんか?」
その問いに、悠太は言葉を失った。思い浮かべたのは、父のことだった。無数の管に繋がれ、静かに横たわっていたあの日の姿が頭をよぎる。
「もし、父に手紙を書いたら……届くんですか?」
声が掠れて、自分でも驚くほど弱々しく聞こえた。彼女は悠太をじっと見つめ、その目に迷いのない微笑みを浮かべる。
「可能性はあります。大切なのは、あなたが伝えたい気持ちをここに込めることです。」
そう言って彼女は、卓上の羽根ペンを手に取り、悠太の前にそっと差し出した。そのペンは、どこか古風でありながら、手に馴染む不思議な感触を持っていた。
「どうぞ、試してみてください。」
その声に促され、悠太は震える手で羽根ペンを受け取った。目の前の紙に目を落とす。ペン先を紙に近づけた瞬間、胸の奥に閉じ込めていた言葉が静かに溢れ出した。
「父さん……」
最初に書いたのは、その一言だけだった。紙に記された文字が重く見え、自分と父との距離感そのもののように感じられた。
「俺は……どうしたらよかったんだろう。」
その囁きに応えるように、羽根ペンが再び動き出す。
「父さん、俺はあなたの息子として何もできませんでした。ずっと反発して、あなたの気持ちを考えたことなんてなかった。最後の日も、俺は冷たい言葉しか言えませんでした。」
ペン先を動かすたびに、押し殺していた思いが紙の上に浮かび上がる。涙が溢れそうになるが、なぜか目は乾いていた。
「でも、本当は、もっと話したかった。あの日だって、手伝うって言えばよかった。あんたが俺を頼ることなんてほとんどなかったから、どうしていいかわからなかったんだ。」
紙の上に紡がれる言葉は、どれもかつて父に伝えられなかったものばかりだった。後悔と、それ以上に抑えきれなかった感情。悠太はそれを一つずつ拾い上げるように、紙に書き続けた。
すべてを書き終えたとき、悠太はペンをそっと置いた。書き終えた紙には、小さなシミがいくつもできていた。汗なのか、涙なのかはわからなかった。
「これで……いいんですかね?」
悠太がそう尋ねると、局員の女性は静かに紙を手に取り、封筒に丁寧に収めた。その仕草は、まるで大切な宝物を扱うようだった。
「とてもいい手紙です。思いを伝える言葉には、正解も不正解もありませんよ。」
彼女の声は穏やかで、悠太の胸にじんわりと沁み込んでいく。
「本当に……これが届くんですか?」
最後に残ったその疑問が、悠太の口から零れた。信じたい気持ちと信じきれない気持ち。その狭間で、声がかすれた。
「大丈夫です。きっと届きます。」
彼女は確信を帯びた微笑みを浮かべながら言った。その表情に押されるように、悠太は静かに頷いた。
封筒はカウンターの向こうに設置された送付台に置かれた。その瞬間、部屋を満たしていた時計の音が一瞬だけ止んだように感じられた。しかし、それも束の間。今度はさらに深い響きとなって、空間を優しく包み込んだ。
「あなたの手紙が届けられることを、心から願っています。」
彼女がそう告げる声に、不思議な力強さを感じた悠太は、少しだけ肩の力を抜いた。
手紙は確かに送られた――そう信じたかった。