
AIが考える石破茂×河野太郎のミルクボーイ風漫才
石破:えー、我が家の母がですね、好んで食しているお菓子の名称を、どういうわけか、思い出せないという状況にあるわけであります。
河野:お母さんが好きなお菓子の名前を忘れた? それで?
石破:ええ、そこで、母が言うその菓子の特徴を、これからお話しさせていただくわけでありますが、ただ、この問題は単に「お菓子の名前を思い出す」ということにとどまらず、我々が食文化とどのように向き合うかという非常に重要な問題を孕んでいるのでありまして……。
河野:……お菓子の名前、思い出すだけの話ですよね?
石破:ええ、しかしですね、ここで慎重にならなければならないのは、「思い出す」という行為そのものが、記憶のメカニズムと密接に関連しているという点なのであります。
河野:いや、普通に特徴を言ってくれればいいんで、別に脳科学の話はいいです。
石破:まず第一に、えー、その菓子は、外側がサクサクとしており、中には餡が入っているということでありまして。
河野:それ最中じゃないですか? もう最中しかないでしょう、その特徴。
石破:いや、最中の可能性が極めて高いということは、私も否定するものではありません。しかしですね、ここで重要なのは、最中というものが、日本の菓子文化の中でどう位置付けられるのか、ということであります。
河野:いや、別に最中の歴史的背景とかどうでもいいです。お母さんが好きなお菓子が最中かどうかだけの話です。
石破:えー、しかしですね、母が言うには、「最後の晩餐にも選びたい」と述べているわけであります。
河野:それなら最中じゃないですね。最後の晩餐が最中って、ちょっと物足りないですよ。もっとこう、すき焼きとか、寿司とか、あるでしょう。
石破:ええ、それは私も理解しております。しかし、ここで考えなければならないのは、「最後の晩餐」という概念が、どのように構築されるかという点なのであります。
河野:だから最中じゃないんですよね? さっさと次の特徴教えてください。
石破:えー、さらにですね、母は**「子どもの頃、みんなが憧れた」とも言っておりまして**。
河野:それも最中じゃないですね。子どもが憧れるのは、もっとこう、チョコレートとか、ケーキとか、そういうやつですよ。
石破:ええ。しかし、ここで注意しなければならないのは、最中もまた、一部の子どもにとっては憧れの対象となり得るのではないか、という点なのであります。
河野:なり得ません。普通にチョコとかのほうが人気です。
石破:なるほど。しかしですね、母がさらに言うには、「お坊さんが修行の時も食べている」と述べているわけであります。
河野:それも最中じゃないですね。修行中に最中は出ませんよ。もっと精進料理的なやつでしょう。
石破:ええ、しかし、ここで考えるべきは、「修行」というものが持つ本質でありまして……。
河野:いや、修行の本質とかは今関係ないです。次の特徴教えてください。
石破:さらにですね、母が言うには、「パフェとかのカサ増しに使われている」とも言っておりまして。
河野:それも最中じゃないですね。パフェのカサ増しに使われるのは、コーンフレークですよ。
石破:ええ。しかし、ここで見落としてはならないのは、**「最中もまた、カサ増しの役割を果たし得る可能性がある」**という点なのであります。
河野:いや、パフェに最中入ってたら、逆に邪魔でしょ。
石破:うーん、なるほど……。
河野:だから、最中じゃないですね?
石破:しかしですね、母が最後にこう言ったのであります。「ジャンルで言うと中華である」と。
河野:それなら最中じゃないですね! 最中は和菓子です! 中華のお菓子なら月餅(げっぺい)とかですよ!
石破:なるほど……しかしですね、ここで考えなければならないのは、「中華菓子」と「和菓子」の境界線とは何か、ということでありまして……。
河野:だからその境界線は今どうでもいいんですよ!!
石破:そうですか……では、仮に、この菓子が最中であるとしましょう。すると、「最中とは何か?」という根本的な問いに行き着くわけであります。
河野:いや、最中が何かはもう知ってます!! さっきからずっと話してるでしょうが!!
石破:ええ、しかし……最中が「最中」として存在し得るのは、果たして何をもってしてか、という議論を深める必要があるのではないでしょうか。
河野:議論いりません!! お母さんの好きなお菓子が最中かどうかの話です!!
石破:なるほど……では、最中であると結論づけてもよろしいのでしょうか……?
河野:最中でいいんですよ!!
石破:……しかし、ここで慎重にならなければならないのは……。
河野:もう慎重にならなくていいです!! 終わりますよ!! ありがとうございました!!
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