日本の男尊女卑についての考察㉘(古事記⑤出雲神話③大国主①恋愛遍歴)
ご愛顧感謝いたします。
今回は、オオクニヌシの浮名の数々を
紹介していき、さらに
考察を重ねたいと思います。
オホアナムヂは
オオクニヌシ(大国主)となり
出雲国を発展させていくんですが
その経緯もまた、紆余曲折が
あります。
このオオクニヌシという神様
結びの神としても有名で、
さらに、超のつくモテ男としても
有名で、そして、日本において
別名が多い神様
としても知られています。
オホアナムヂ、オオクニヌシ、
ミモロノカミ、ヤチホコ、
アシハラノシコオ、
ウツシクニタマ、
イワノオオカミ、
クニツヌシオオナムチ、
カクリヨノオオカミ
などなど、例えをあげれば
キリがないというほどの名
を持ちます。
そんなオオクニヌシの
身の回りの話です。
最初に妻となった
ヤガミヒメは、
オオクニヌシとの間に
子を儲けていますが、
荒ぶる舅・スサノオ
の言いつけにより
スセリヒメを正妻に迎えてますので
嫉妬深いスセリヒメに怯えたのか
二人の子を木の又に置いたまま
(木俣神)
ヤガミヒメは一人
稲羽の八上に帰って行きました。
さらに、オオクニヌシは
ヤチホコとしても、全国に浮名を
流していきます。
まず、スサノオの娘として
スセリヒメを筆頭に
タギリ、タギツの姉妹
(宗方三神
:誓約の時に生まれた女神)
越(石川)•高志国のヌナカワ、
ヤシマムヂの娘・トトリ、
粟鹿国(兵庫)のアメノトムイ
岩木(青森)のクニヤスタマ
大和(奈良)のカヤナルミ、
アヤト、マタマツクタマムラノ、
ヤノワカ、
(出雲国風土記より)
ノツヒメ、
(播磨国風土記より)
などなど、、、、。
彼の別名同様に
こちらも数えあげれば
キリがありませんね。
その都度に出会い
愛を育み、それぞれに
儲けた子の数は
百八柱とも百八十柱とも
言われています。
そうしていると
スセリヒメも気が気では
ありません。
大和国(奈良)遠征の折、
とても気の多い
オオクニヌシに対して
想いを綴った手紙を
スセリヒメは送っています。
その手紙に心を打たれた
オオクニヌシは
スセリヒメを抱きしめ
盃を交わし仲睦まじく
過ごした。と古事記には
記されています。
その様子を象ったとされる
石像(噴水?)が
奈良県明日香村には
伝わっています。
オオクニヌシは
とんでもない
プレイボーイぶりを
発揮してますね。
では、ここまでの話の
考察をして参ります。
まず、スセリヒメを正妻に迎え
それまでの妻ヤガミヒメが
国許に帰って行った経緯ですが
おそらくは、オオクニヌシとして
帰ってきた時点では
八十神達のような反勢力が
まだまだ根強い中ではなかったかと
推察できます。
スサノオの弁をとれば
太刀と弓を持って八十神達を
退け追い払え という言葉が
スセリヒメを正妻とせよの前に
来てますから
ヤガミヒメを粗末に扱ったと
いう雰囲気ではおそらく無かったはず
その中で、儲けた子が木俣神ですから
むしろ、この当時、
肩身が狭かったのは
スセリヒメの方では無かったかと
推察できます。
出雲国を平定し、ようやく
落ち着いた時に、スセリヒメを
正妻として迎え入れた
という流れですから
ヤガミヒメは本当に
スセリヒメの嫉妬に
充てられたのでしょうか?
むしろ、ヤガミヒメの
プライドが粉砕してしまった。
心が折れてしまった。
と捉える方が自然ではないかと
思います。
まあスセリヒメが
そう仕向けたのかも知れませんが、
その辺りの描写は
一切、古事記には書かれていません。
ヤガミヒメの立場を考えれば
生まれた子を推して
自らの地位を主張することも
出来たはずです。
なぜこのようなエピソードが
古事記に記されているのか?
単純に、同じようなエピソードを
実際に体験していたからでは
ないでしょうか?
それは天皇に繋がる人の話なのか
編纂していた大安麻呂 自身の話
なのかは分かりませんが、
古事記に記す意味と言うものを
じっくり考えると
前例主義の根幹を記している。
と言う見方をすれば
正妻に迎えるタイミングの
トラブルを表している。
と見る方が正しいのではないかと
思います。
ヤガミヒメは子供を置き去りに
している。と言う点も
ヤガミヒメがスセリヒメを
恐れるあまり
あるいは、オオクニヌシや
スセリヒメへの怒りのあまり
国許に帰った。
と言う見方をするよりも
出雲国の大王である、
オオクニヌシ(父親)
に預け育ててもらう方が
女の身一つで
育てるよりも我が子の為になる。
と悩み抜いた末の決断であった。
と考えるのが女性としての
立場としてはより
自然であると言えます。
あるいは、ヤガミヒメ自身が
育てる事ができず
国許に帰らざるを得ない事情が
突発的に出現したとも考えられます。
よく神話では、二度と現れなくなる
前の表現をぼやかすと言う特徴が
見受けられるんですが、
日本神話でも例外ではなく
隠れる、帰る、と表す場面が
少なくありません。
つまり、ヤガミヒメの体調が
崩れ、回復する見込みが無かった。
もしや、産後にそうなってしまった。
と言う見方も出来ます。
亡くなったとは書かれていないので
亡くなる前に自ら国許に帰る
と言う決断をしたのではないかと
読み取れます。
問題はその後、
オオクニヌシの浮名についてですが
範囲も東北から九州に至るまで
その名を轟かせています。
おそらくは古代出雲の慣習で
政略結婚がとても頻繁に
行われていた。
とする説が有力ですね。
日本においては、この頃、
農耕民族の色がとても強い時代の
話で定住化はしていたはずですが、
それまでは、狩猟をして生活を
していた。つまり、
遊牧をしていた名残りとして
攻めている国が降伏すれば
その条件として
土地を分捕るという選択も
あるでしょうが、
定住化している訳ですから
降伏した国の土地を貰うだけの
メリットがないはずです。
しかも、降伏した国や
恭順を示した国が出雲国と
隣接はおろか、距離のある国なら
その土地を貰うよりも
その土地で育まれた作物を
運ぶことも含め
なんらかの約定を交わし、
さらに、その地の名のある豪族の
娘と結婚し、(要は人質として)
姻戚関係を持つという方法は、
戦勝国にとっては、有意義な
手段であっただろうと
推察出来ます。
日本に限らず全世界で
見受けられる手段です。
加えて、我が血族を後世に遺し
広く知らしめる。と言う効果も
併せて期待が出来ます。
結果的に女性を道具として
扱っているかのような描写とも
受け取れますが
やはり強大な出雲国家を
運営していく上では
避けて通れない問題だったのだと
古事記では
描かれているのだと受け取れます。
つまり、この部分の話は
古代出雲国が
いかに強大な影響力を
持ち得たのか。
そして、どのように
発展して行ったのか。
と言うことがとても
詳細に描かれている
エピソードなのですが、、、
それは、本当に
古代出雲族の話なのか?
古代出雲族は姫彦制度を
持っていたのでは無かったか?
と言う疑問にぶち当たります。
必ずしも政略結婚と
姫彦制度が合致しないと
言うわけではありませんが
つまり、古代出雲国の
名を借りて、古代天皇家
ひいては、その当時の
天皇家の価値観を
そのまま投影しているの
ではないか?
と思えるような
とても、重要な箇所ではないか
と考えます。
出雲神話が
古事記 上つ巻(日本神話)
の約4割を占める本当の理由は
ここにあるのではないかと
思います。
日本書紀の中には
全く触れられていない部分
の話でもありますしね。
次回は、オオクニヌシの
国造りに協力するために
現れた神々のお話を
させていただこうと
思います。
ここまで読んでいただけて
とても嬉しく思います。
次回もまた お楽しみに!