驟雨
君が消えて三度目の春が来ました、春はいのちの匂いがするから嫌いって言って、つまらん翳りを捨てきれない君が、君を、いつまでも、覚えてます、覚えてます覚えて覚えて、だっていつまでも消えてくれなくて、君を抱いたときはいつも磯の香りがしました、つまりそれって死の予感で、どこまでいっても僕は春で、冬の冷たい海の底にはなれないのだからどんなにこの腕で幾重の光で囲ったってきっといつかは逃げ出されてしまうだろうってこともわかって、わかってそれでも君の眼に差す夜闇を少しでも塗り潰そうとしたのです、世の人はそういう罠をぬくもりなんて甘い言葉で騙し騙しで受け入れてるいるけど、その体温すら君を焼き殺そうとしてたこと、僕はほんとは知っていました、知ってて影を漏らさんように、湿った光を何度も君に押し当てて、滑稽な暴力でその孤独を茶化して、限界なんてとっくの昔にきてたこと、君が気付かんように、少しずつ少しずつ麻痺させて、あれは確かに殺人でした。だから天罰なのだと思いました、僕のこの手で壊しきる前に世界が君を蹂躙したこと、踏みつけられてめちゃくちゃになった君は、雨の降る晩いきなり悪夢から目覚めたように小さく叫んで駆けてったこと、僕が一生懸命潰したはずの闇はあっという間に隙間から君に寄生して君を食らって、むかし国語で習った芥川の小説のラストみたいに、そのまま何処かに消えてしまったこと。
僕はあれからひとりで待っていました、枯れた花束、桜餅、夜の公園で拾ったアイスのハズレの棒、線香花火、クリームソーダ、波打ち際のチェキ、キンミヤ焼酎、金木犀の香水、喫茶店の赤いソファのカプセルトイも、君が聴いてたバンドの歌詞カードも、メビウスの空き箱も、ほんとは内心馬鹿にしてたけど、あの日から結局なにも捨てられないまま、この部屋をそういうインスタントな闇で満たして待っていました、だって、君だってどうせほんとの闇には耐えきれないんじゃないかって、春に誘われてやられてしまった君のことだから、紋切り型の感傷にまたひたっていられるこの場所に、のこのことまた戻って来るんじゃないかって、そんな期待をしてたから。
あれから三年経ちました、三回四季が回っても冬だけ手には入りませんでした、それが僕の結果です。それでも僕にはひとつ気付いたことがありました。コンドームの空き箱ができるたび両手に力を込めてその小さな黒や赤の毒々しい箱をなんだか心底憎そうに潰す君の背中は、いつも触れたら崩れそうな輪郭をしてて、君を犯してやった射精なんかよりなによりもっと僕が酷かったのは、そんな君の弱さを見ないふりしてそれで守った気でいたことでした。君の中にある影を内心見下して、守っていたのは結局そっちじゃ息ができない僕のちっぽけなプライドなのに、それに触れないことを君への線引きと勘違いして、それで、そんな酷いことをしていたくせに、加害者面ひとつ立派にできないことが僕の一番の罪悪でした。ごめんなさい、君を馬鹿にしながら君がいないと耐えられなかった馬鹿は僕の方です、簡単に幸せになればいいとか、そんな翳りは脱ぎ捨てちゃえばいいとか、なんにも分かっていなかった。春夏秋をかき集めても、僕に足りないものは君にハナから見抜かれていたようで、つまるところ僕は君を光で壊しきる覚悟なんて最初から持ってなかった、それならせめてと、冬は冬のまま抱きしめること、なれないものをなれないって認めて押し切る強さすら、あの時の僕はひとつも持ってなかった。
一緒に生きてよ。
今なら本気で言えるのに。安っぽいカッターでやるリストカットごっこじゃなくて、土曜の朝の幸せごっこじゃなくて、殺す気のない首絞めセックスなんかじゃなくて、冷蔵庫を開けた瞬間にいつもキスをしてきてピーって電子音に怒られるまで絶対離してくれない君が、そういう時だけ小さな敵意を剥き出しにしてぶつけてくれたかわいい君が、僕にほんとに求めてたこと、今更になってやっとわかりました。生きててください、お願い、今はどこにいるのかですら分からないけど、まだそれだけを思います、君が長い冬を抜けて生物臭い春の土から芽吹いて、諦めてその暖かな風を受け入れる日が来たら、そしたら、僕はどこでも迎えにいくから、それで言うから、抱きしめて、終わらせるのもやり直すのもできない日々を、幸せでも不幸せでも闇でも光でもない生活をただ続けたい、それだけを今度こそ君に言うから、だからお願い、一緒に生きてよ。
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