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#19 開眼とは?魂入れについて

「幽霊っているの?」「運の正体とは?」などと思ったことは誰しもあるはず。そんな“目に見えないもの”にまつわる素朴な疑問や、仏教に関する知識を、SNS等で人気の僧侶、仁部(にべ)兄弟がゆるく解説。二人の掛け合いが楽しいインターネットラジオ「お寺ジオ」の配信内容をベースに、加筆・再構成してお届けします。

右:兄の前誠、左:弟の前叶

●前誠 4月って進級や進学、新入社など、「はじまり」のイメージがある時期だと思うのね。そこで今回は仏事における第一歩「開眼」をみなさまに知っていただきたいなと。
前叶、解説任せていい?よろしく〜。

○前叶 じゃあまず開眼っていうものがなんなのか説明していこうか。
まず、漢字で書くと眼を開くということで、「開眼」と書いて、「かいげん」と言います。みなさんにお伝えする時にはわかりやすく、「魂入れ」なんて言い方もするよね。

●前誠 そうだね。

○前叶 この「魂入れ」を何に対してするのかというと、新しいご本尊や仏像、身近なところでいえば、仏壇やお墓、お位牌、丁寧な僧侶は衣や袴、袈裟に対してもしています。

●前誠 ふむふむ。肝心の「魂入れ」は…?

○前叶 例えばね、大切な方が亡くなりました。その方が使っていた万年筆、それと同じものを私が買ってきて、みなさんにこのどちらに”思い入れ”がありますかと聞いたら、おそらくモノは同じでも、故人さまが使っていたほうに自分は思い入れがありますという方がほとんどだと思います。
このように姿形、物質的には全く一緒でも、人間というのは不思議なもので、心が故人さまが使っていたモノのほうに何かを感ずることができる。これは遺品で、長らく人生をかけて、その方が培ってきたものがあるからこそ”思い入れ”があるわけです。
じゃあ仏事でいう開眼はどうかというと、このような背景をギュッとまとめて、この法事以降、このご位牌は、このお墓は、このご本尊は、この瞬間を境に供養をするためのモノなんだ、仏具なんだという認識をしてもらう。このことがご供養の第一歩になるんだね。
つまり、開眼供養の前と後とでは物質的には何も変わらないんだけど、それを施したという事実を持って「魂が入る」。逆に言うと、みなさんに魂を入れたんだなと思ってもらうこと。これが開眼供養です。

●前誠 時間を必要とする”思い入れ”を仏事に託すというわけだね。

○前叶 そう、これはすごく大切なことで、今は開眼供養という作法の一つになっているけれど、昔のお坊さんたちっていうのは開眼供養しなかったんだよね。

●前誠 改まってしなかったってことかな?

○前叶 そう。なんでかっていうと、今は仏像なら仏師、仏具なら仏具屋さんというふうに、専門が分かれているけれども、昔のお坊さんっていうのはお札も自分で作ったし、ご位牌も自分で作ったし、仏像も自分で木を切って彫っていた。すべてをやっていたんだよね。で、そのひとつひとつの工程自体が開眼、魂入れなんだ。仏像をつくる時の彫刻のひと彫りひと彫りが開眼なんだっていうことをおっしゃっていたから、今みたいに出来合いのモノにお経を読んで開眼供養する必要がなかったんだよね。

モノが溢れる世の中だからこそ・・・

●前誠 ちょっと、先生いいですか?
今までの話を聞いていて…、モノにはストーリーとか過程とかプロセスっていうものを経て、ようやく思い入れが生まれてくる。そのプロセスや過程は、道のりっていう言い方もできるかな、それってやっぱりある種「めんどくさい」ことでもあると思う、時間もかかるし。
でもそうじゃないと思いが入らないっていう前提があるとしたら、便利な世の中で、なんでも省略しましょう、効率よくいきましょうっていうのはなんだか寂しく感じるなぁ。以上です。

○前叶 質問じゃなくて感想ね(笑)

●前誠 仏教的にはそういう、一つひとつの手間をかける、手間暇をかけるっていう状態のことをたとえば「修行」ともいうし、修行の中の分類でいうと「作務行」ともいうよね。

○前叶 そう。お経本から言葉を借りると「所作仏事」だよね。一つひとつが仏になるために通じているっていうこと。まぁすごく仏教的な発想だなって思う。
例えば、作務行っていう言葉が出たけど、一般的にはお寺の境内の掃除とか本堂の中をきれいにしたりとか一般的に言う雑用みたいなことを昔のお坊さんたちは「お寺の開眼」って呼んでたりしたのよ。

●前誠 お寺の開眼!素晴らしい言葉出てきたね。

○前叶 お寺を整備し、守っていくっていうその作業。それ自体がお寺自身の開眼っていう考え方を持っていたんだよね。今はなかなかそういう感覚の人はいないかもしれない。

●前誠 モノはモノ、みたいなこと?

○前叶 うん、物質的に豊かだからこそ、替えが利いちゃうじゃん。
そう考えると、一つのモノにわざわざ向き合って、わざわざ開眼をする。開眼するっていうことは逆に閉じるほう、「閉眼」することもあるわけだよね。お役目終えましたよと御礼をする。
ってことは始まった段階で終わりを考えてなきゃいけない。仏教的に言うと、生まれれば死んでいくっていうことだから、開眼っていうのはいのちを与えるっていうことなんだよね。

●前誠 モノに思いが宿るっていう考え方、付き合い方ってすごく日本人的で奥ゆかしくて好きだな。
野球をやっていたときの経験に照らし合わせると、ちゃんと道具を扱わないと、ここぞっていう時にエラーしちゃうぞみたいな。大切な場面ってさ、自分が常日頃、苦しい時をともにした、または手入れをしっかりした道具と一緒にむかえたいっていう感じ。それを怠るとあらぬところでミスをしてしまうというか、やっぱり思い入れがあるものっていうのは強いんだろうなぁ。
話の頭に戻るけど、新学期、新社会人、新しい環境にワクワクしている人も多いと思います。

○前叶 開眼と一緒でモノゴトは、はじまりが肝心!

●前誠 明日は明るい日と書きます。みなさまの明日がより良い一日になりますように。

○前叶 合掌。

仁部 前誠(にべ・ぜんじょう)
1988年埼玉県生まれ。立正大学仏教学部宗学科卒業。妙見山上原寺副住職。2012年より日蓮宗宗務院に奉職。2016年、日蓮宗加行所初行成満。2020年よりRadiotalkにて、弟の前叶氏とともに「midnight temple radio お寺ジオ」を配信。僧侶としてのモットーは、「法華経の話はほとんどしませんが、すべては法華経の話です」。 最近では、『あなたは尊い 残念な世界を肯定する8つの物語』(漫画・やじまけんじ/監修・佐渡島庸平×日蓮宗/徳間書店)制作プロジェクトに参加した。
仁部 前叶(にべ・ぜんきょう)
1991年埼玉県生まれ。立正大学仏教学部宗学科卒業。妙見山上原寺副住職。さいたま浦和地区保護司。2015年、日蓮宗加行所初行成満。2020年、仏教死生観研究会「死の体験旅行」講師を務める。同年、上原寺別院「祈誓結社」を設立。”ほとけ様との架け橋“であることを目指し、命の強さと有り難さについて伝えるべく活動している。 https://twitter.com/6SYAKU_HOUSHI