教育学部生のわたしが教師にならなかった理由|ナガノ学校改革プロジェクトvol.1
ナガノ学校改革プロジェクトとは
2019年4月から始まった長野市立長野高校・中学校での協働学校改革プロジェクト。これから3年間、PBL(Project Based Learning)といわれる生徒一人ひとりの好奇心から始まる探究学習のカリキュラムづくりを軸に、公教育における学び方、学校の在り方、教育課程の在り方を探っていきます。その過程における試行錯誤やドラマを、様々な担い手たちから届けていきます。
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酒井朝羽(Sakai Asaha)
1996年長野県生まれ。信州大学教育学部卒業。幼小中高・特別支援の教員免許をもつ。趣味はアートと演劇。水玉模様と草間彌生をこよなく愛す。2019年4月NPO法人青春基地に入社。
はじめまして、こんにちは。酒井朝羽(さかい・あさは)です。わたしは3月に大学を卒業し、4月からNPO法人青春基地の職員として働き始め、主に長野市内にある長野市立長野高校における3カ年の協働学校改革プロジェクトに携わっています。
わたしは生まれも育ちも、長野県。長野県にある信州大学教育学部で大学4年間を過ごしていました。
教育に携わることになった原点は、小学校時代にあります。
ちょうどゆとり教育の時期でもあり、私の育った小学校は「総合的な学習の時間」がとても盛んでした。例えば「用水路にある大きな穴はなにか?」という問いから用水路探究がはじまり、「用水路のゴミを集める穴なのではないか」「用水路の水をどこかに流しているのではないか」と、それぞれの考えを出し合ったことがあります。でもやっぱりわからない、じゃあと、知っていそうな近所の農家さんにインタビューしてみることに。
写真:一番左下がおそらく私です(笑)
近所の農家さんは、この大きな穴が、用水路が洪水になったときに水が溢れないようにするための排水路であること、またこの地域は、昭和40年代から洪水の被害に苦しんでいたということも教えてくれました。
学校を飛び出しに問いを解決する、学校の中に完結しない学びの在り方がそこにはありました。
自分の中にある問いについて、とことん議論をすること。そうやって今の自分をつくってくれた「教育」という現場で自分を生かしたいと思い、信州大学教育学部に進学。
教育学部の授業では、基本的に「教師になるためにはどうあるべきなのか」、「授業とはどうあるべきか」を学びます。例えば、算数科を学ぶのであれば「算数科指導法」「算数基礎」のそれぞれの授業を履修し、それらの指導法と内容を学びます。そのまた「学級経営」という授業では、自分が担任の先生になったときに困らないように、学級通信を書いてみたり学級経営に使えそうなゲームを実践したりしました。
大学の中では、常に「教師」の視点から教育を学んでいたと思います。
しかし、私のなかで新たな問いが浮かんできます。
それが鮮明になったのは、「HLAB」という高校生向けのサマーキャンプです。長野県小布施町という人口約1万人の街に、数日間ハーバードや東大など世界中の大学生が集結し、高校生と対話を深める時間。その実行委員に携わらせてもらうと、HLABでの学びの作り方は、教育学部や実習で取り組んできた方法と全く違ったのです。
まちあるき企画を担当していた私は、「どうしたら高校生がまちあるきを楽しく行うことができるか」と、仲間と何度も話し合いを重ねました。そして、まちあるきをしながら好きな場所で撮った写真に川柳をつくり、チームごとの対抗戦にすること。審査員には町の人を呼び「おぶせんりゅう」という企画が誕生しました。
この企画は、教育だけでなく工学・経済・法学などの多様な専門性と、アメリカから九州まで多様なバックグラウンドをもつ仲間と共に考えたからこそ、生まれた企画だったと思います。
一人では生まれなかった意外な気づきや面白いアイディアに、とてもわくわくしました。
振り返ると、小学時代もHLABでの経験も、教師だけでなく、多様な人々が関わることで、学びが広がっていきました。
そこから、「学校教育」こそ、学校の中に完結するのではなく、多様な人々が関わるなかで、学びは育まれていくのではないかと感じ始めました。
思いをもって教育学部に入ったけれども、いつのまにか「教育」の枠組みが狭くなっていた気がしました。
教師と子どもだけでつくるのではない「社会に開かれた学校」をつくりたい。しかし学校現場や教職課程には、まだまだ違った空気が流れています。たとえば学校での指導案や授業は、基本的に複数人ではなく一人でつくるもの。「授業研究会」といって授業案について吟味する機会もありますが、教師や教育委員会など限られた人で構成されています。
教員採用試験を受けながら、就活中もずっともやもやしていました。
そんななか、HLABをきっかけに知り合っていたNPO青春基地の代表から、「長野で、高校の先生向けPBL研修をやっているから、見においで!」と一言。
「地元で!」と思って現場に行き、青春基地の実践の話を聞いていると、公立高校のなかで、多くの組織・人と協働しながら授業づくりをしていました。それはまさに「社会に開かれた学校」づくりでした。
青春基地のつくる授業は、学びに関心がある大学生や社会人が、自由に参加して、自由につくっていました。
わたしも見学するだけと思っていましたが、気づいたら先生と共に学びやこれからの学校の在り方について考えていました。
外部の人だと思っていたら、その場で一緒にカリキュラムをつくったり、自分も教育の「当事者」になっていました。初めて参加した自分が考えた意見やアイディアが、その場で形になり、次の授業に活かされていきます。そうやって誰でも教育の「当事者」になれる、そこが青春基地の面白いところです。
青春基地と出会って思ったことは、外部の人に来てもらうだけでは「社会に開かれた学校」は実現しないということ。
社会、地域の一人ひとりが学校づくりをする教育の「当事者」になっていくことが重要であると感じています。
学校をとりまくすべての人々が当事者となって、学校と社会の境界線がどんどん曖昧になっていく。それが「社会に開かれた学校」なのかもと思っています。
そんな「社会に開かれた学校」をつくりたいと思い、教師という道ではなく、NPO法人青春基地のひとりとして学校づくりに関わる決意をしました。
そして、今年度の4月から、日々「長野市立長野高校」の総合学科との3カ年協働プロジェクトと格闘しています。あっという間に4ヶ月が過ぎて、うまくいったり、うまくいかなかったり。
続編では、「社会に開かれた学校」を実際つくるなかで感じていることを書き綴っていきたいと思います。
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